▲パクチーブームの火付け役のひとりである現「台灣食堂」オーナーシェフである田淵雅圭さん。パクチーを普及させるべく奮闘した狂騒の日々を振り返っていただいた。 大阪のオフィス街、博労町(ばくろうまち)。 かつてここに異色の、というか緑一色のレストランがありました。その名も「GoGoパクチー」。 パクチーがまだ日本では珍しく、大衆の意見が「パクチーを知らない」あるいは「パクチーは苦手」の2択しかなかった頃に、あえて「パクチー料理専門店」として看板を掲げた勇気あるお店です。 「GoGoパクチー」は、店主の田淵雅圭(たぶちまさよし)さん(現36歳)が、自らグリーンにボディペインティングを施し、「パクチーマン」と化して奔走しました。おかげでパクチーブームが巻き起こり、「東のパクチーハウス。西のGoGoパクチー」と並び称されるほど流行の最先端をいったのです。 『メシ通』でも、2017年に取材をいたしまし