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オロナミンCに関するmorobitokozouのブックマーク (2)

  • オロナミンC|大塚製薬

    HISTORY オロナミンC ヒストリー みなさんご存知のオロナミンCの、 あまり知られていない歴史をご紹介。 ラベルレスボトル、新登場 国内累計販売数が350億を突破しました。 さらに、現在の製品に加えてラベルレスボトルを発売。 来、びんはラベルを剥がさずにリサイクル※することができますが、 全国の方々にご愛飲いただく中で、「ラベルを剥がしたい」というご要望が多く寄せられるようになりました。 その声にお応えし、製品開発を進め、ラベルレスボトル(一部通販サイト限定販売)が誕生しました。 ※分別回収に際しては、お住まいの自治体のルールをご確認ください。 革新的だった「炭酸」 という新発想 「元気ハツラツ!」でおなじみのオロナミンC。その開発の歴史は今からなんと50年も前、半世紀前となる昭和36(1961)年。大塚製薬初のドリンク剤「グルクロン酸ビタミン内服液」、翌年同時発売の「キングシ

    オロナミンC|大塚製薬
    morobitokozou
    morobitokozou 2021/07/03
    7月3日は「オロナミンC」の日
  • 祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

    この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい

    祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)
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