9月3日は「組踊の日」。一般社団法人日本記念日協会は20日、「組踊の日」を認定した。「く(9)み(3)踊」の語呂合わせ。 組踊の始祖・玉城朝薫の墓があり、国立劇場おきなわが立地する浦添市が、組踊を文化観光資源として県内外に発信することなどを目的に申請していた。
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1975年3月に「合格おめでとう」と祝ってくれた琉球大学短期大学部(夜間)の事務員は翌4月、「入学書類は受け取らない、帰れ」と怒鳴ったという。当時20歳の海上自衛隊士長、大旗清さんの経験だ。仕事に生かそうと選んだ電気工学科。自衛官だからという理由で一度も受講できないまま1年後に退学した。 大学側は一時、入学を保留した。当時の本紙に「事実上の不許可」と書かれた対応は、反戦運動をする学生たちが学内封鎖や授業ボイコットに及び、本人にも危害が加わりかねないため-とされた。一転して入学を認めた後、予測は当たった。 首里城跡にあったキャンパスに通う大旗さんを見つけると、追い出す学生たちがいた。時に竹ざおや棒、拳で突き、蹴り、石を投げた。教室に連れ込んで2、3時間、150人ほどで詰問した末に「帰れ」「入学認めないぞ」などと怒号を浴びせた日もあった。 ◇ ◇ 学内外の労働組合も巻き込んだ紛糾を新聞、
産経新聞の報道の自由を守らなければ。基地問題への見解の違いも、「沖縄2紙が米兵の善行を黙殺」とデマで攻撃された因縁も関係ない。今回は、中国政府に取材を拒否された産経の側に立つ ▼8月末、日中高官が北京で会談した。取材に人数制限があり、日本のメディアは抽選で代表5社を選んだ。ところが、このうち産経だけ認めない、と中国政府が通告した。これまでも繰り返し狙い撃ちにしてきた ▼各社は足並みをそろえて取材を中止。産経や日本政府は抗議した。中国政府はこれに「芝居だ」と反発し、「日本政府はメディアを教育すべきだ」と逆に要求した ▼民主主義社会における報道はプロパガンダとは違う。権力から独立し、監視するのが役割。評価するのは権力ではなく、読者や視聴者だけだ ▼仮に中国の一党独裁が正当なら、各メディアに自由な取材を許すだけでいい。競って実像を報じる。そうでないメディアは読者や視聴者に見放されるだろう。それで
「土人」なんて言葉は僕らだって使わない。若い人がこんな言葉を使うことに驚いた。普通は使わないし、習うこともない。上の世代や警察幹部から、沖縄の人たちは「日本全体のことを考えない」という趣旨のことを聞く中で、市民運動に対する憎しみから出てきたのだろう。憎しみをつくり出しているのは誰なのか。
沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。 2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。 特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直) ■疎開船と
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