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2007年9月4日のブックマーク (2件)

  • SMAPのドッキリはなぜあんなにもリアルだったのか? - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    夏の終りに怪談話でもひとつ SMAPのドッキリは、なぜあんなにリアル性を追及したものだったのか? 全国に果たして何人がこの部分にひっかかっているのか不明だが、少なくとも私はひっかかっていた。そしてこの疑問を追及することが、「歌舞伎町アンダーグラウンド」の著者のような末路を辿る可能性を承知であえてその危険な領域に踏み込みたい。 この疑問に至った理由には、SMAPに関わる過去の3つのドッキリがある。 ・スターどっきり(秘)報告 木村×中居×森 のケンカ ・スターどっきり(秘)報告  ブラザー・コーン×木村拓哉 の修羅場 ・夢がMORIMORI プロデューサー激怒 この3つのドッキリに共通しているのは、すべて怒りをテーマにして乱闘に発展するも、種明かししてもそれがリアルすぎて全く笑えないという点である。 スターどっきり(秘)報告  ブラザー.コーン×木村拓哉 仕掛け人   ブラザー・コーン その

    motif
    motif 2007/09/04
    おもしろい
  • オリーヴ少女は小沢健二の淫夢を見たか? - sekibang 1.0

    こういうアーティストへのラブって人形愛的ないつくしみ方なんじゃねーのかな、と。/拘束された美、生々しさの排除された美。老いない、不変の。一種のフェティッシュなのだと思います*1。 「可愛らしい存在」であるためにこういった戦略をとったのは何もPerfumeばかりではない。というよりも、アイドルアイドルたらしめている要素の根的なところには、このような「生々しさ」の排除が存在する。例えば、アイドルにとってスキャンダルが厳禁なのは、よく言われる「擬似恋愛の対象として存在不可能になってしまう」というよりも、スキャンダル(=ヤッていること)が発覚しまったことによって、崇拝されるステージから現実的な客席へと転落してしまうからではなかろうか。「擬似恋愛の対象として存在不可」、「現実的な存在への転落」。結局、どのように考えてもその商品価値にはキズがついてしまうわけだが。もっとも、「可愛いモノ」がもてはや

    オリーヴ少女は小沢健二の淫夢を見たか? - sekibang 1.0