わたしは中学校、高等学校と詰襟服で過ごしました。 当時のわたしの姿は、いつも詰襟服に黒い短靴に黒いかばんです。黒づくめの姿はまるでからすのようでした。 真つ黒けの詰襟服は、戦前の巡査(冬服)や、映画「二百三高地」でおなじみの明治時代の陸軍の軍服のようで、とても気に入っておりました。 しかし、学友はこの服が気に入らないようで、裏地に赤い布を張つたり、燕尾服のやうに必要以上に長い詰襟服をこしらへたり、襟のカラーを異様に高くしたりして、さまざまな改造を試みていました。 襟のカラーをあまりに高くしたせいか、襟のホックが留まらず、いつも開けっ放しの変人もいました。カラーの高さを変えていない学友も、風の通りをよくするためか、いつも開けっ放しでした。 しかし、襟のホックをだらしなく開けっ放しでいるのは、わたしにはどうもかっこよくは見えないのでした。まるで、それは「社会の窓」を開放している姿に似て、わたし
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