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SFと文化に関するmotosonのブックマーク (2)

  • アメリカSF界で繰り広げられているカルチャー戦争の犠牲になったヒューゴー賞 Sad & Rabid Puppies | 洋書ファンクラブ

    ヒューゴー賞(Hugo Awards)は、世界中のSFファンが注目するSF、ファンタジー、ホラージャンルの重要な賞である。 受賞作は世界SF大会(ワールドコン, World Science Fiction Convention)に登録したファンの投票で決まり、大会の間に開催される授賞式で発表される。気取った文芸賞とは異なり、批評家ではなくファンが決める賞なので、必ずといって良いほど面白く、ベストセラーにもなる。そういった点で、とても信頼性がある賞だった。……少なくともこれまでは。 ところが、このヒューゴー賞が社会政治的なバトルグラウンドになってしまったのだ。 アメリカSF作家のなかには、最近のヒューゴー賞は「マイノリティの人種、女性、同性愛者への公正さを重んじるリベラル政治性を優先して選ばれている」、「文芸的な作品が重視され、娯楽的なSFが無視されている」といった不満を持つ者がいる。そ

    アメリカSF界で繰り広げられているカルチャー戦争の犠牲になったヒューゴー賞 Sad & Rabid Puppies | 洋書ファンクラブ
  • 日本はいつから「未来」であることをやめたのか?(サイバーパンク的な意味で) : 族長の初夏

    「ブレードランナーやニューロマンサーの頃って未来の日がやたら流行ってたけど、あれってなんで廃れたの?バブルがはじけたから?」「いや、アニメやマンガがあたりまえになりすぎて目立たなくなっただけだろ」みたいなことをアメリカSF好きな人たちが言っています。日SFファンにとっても面白い話題なのではないでしょうか。で、少し訳したりしながら僕も考えてみました。米国のサイエンスフィクションはかつて、ブレードランナーからニューロマンサーまで、日に魅了されていた。 日のものはすべて、アメリカの小汚い美意識よりもクールで洒落ていて輝かしく見え、日は支配者となるべく運命づけられた存在だった。(中略) ウィリアム・ギブスンが「ニューロマンサー」の執筆中にブレードランナーを見に行ったというエピソードの中で、彼は、映画が描く未来のヴィジョンと彼の小説のそれがあまりにも似すぎていたことにショックを受け、も

    日本はいつから「未来」であることをやめたのか?(サイバーパンク的な意味で) : 族長の初夏
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