「いけずやわ、ほんまに」 〜よそ者には敷居が高い「素顔の京都」の楽しみ方 表と裏と、この街には知らない顔がある 観光客の見る京都と、京都人が知っている京都は、同じようでいてまったく違う。「いけず」の向こうの豊饒な世界は、どうすれば垣間見られるのか。少し居ずまいを正して、素顔の京都を探しに行こう。 よそ者には感じ取れない 「京都にはどこまで行っても、その向こうに奥座敷がある。本当の奥の奥は、外の人は滅多なことでは見られない。それも京都人の手引きがないかぎり、見ることができないのです。でもそれこそが、京都の魅力の源なのでしょう。京都人は、この多重構造を見せたり、閉ざしたり、時にはチラリと見せたりといったことを、自在にやってのける」 こう話すのは、京都市在住の宗教学者、山折哲雄氏である。 いつ訪れても、京都の街の空気には、あたたかさや懐かしさの陰に、ひとすじの緊張感が漂っている。「おこしやす」と