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2008年9月10日のブックマーク (3件)

  • 「教師になるつもりです」と教育学部生が嘘をつかなくてはならない理由

    実習の担当とかしてたんで、少しだけ書くよ。 今すぐでなくても、「教師になる可能性」の芽を育てよう、というスタンスで受け入れてくれよ、と思う。 言いたいことはすごく良く分かる。で、どうしてこんなことになってるかを説明すると、その背景から説明しなきゃならないんだけどいいかい。 まず「教育実習」というのは制度上「大学の授業」である。これはOK?当たり前だ。「実習」という名のもとに単位認定すんのは明らかに大学なんだから。だから来、免許の取得に「教育実習」が必要である以上、実習のための学校は大学が用意すべきもの。たとえば系列の小中学校なんかがあれば、そこで。教育大学なんかはそれがあるから自分のところで教育実習できるし、する。 けどそうでない大学もある。そこで実習生が、母校に、ただ母校であるというだけの理由で、大学の仕事の肩代わりを頼みに行く。これがいわゆる「教育実習」なわけ。母校にはそれを受け入れ

    「教師になるつもりです」と教育学部生が嘘をつかなくてはならない理由
    moup
    moup 2008/09/10
    「教師になるつもりです」と教育学部生が嘘をつかなくてはならない理由
  • 駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-

    「今でもな、口だけは達者なんよ」 埃が積もった商品のない棚、空っぽのアイス用クーラー。 一見廃墟にすら見える店内で,100才にもなろうとしている彼女は呟いた. この日僕ら双子の兄弟が、この駄菓子屋を訪れたのは全くの偶然だった. 10年以上前、僕らが小学校だったとき、その駄菓子屋は僕らの社交場だった. 親からもらった100円玉を宝物のように握り締めて、少年達がそこを訪れる. 10円ガム、20円のチューベット、5円のメンコ。 50円で当てたくじびきの一等賞。かけがえのない、価値あるゴミたち。 その頃、100円は確かに大金だったのだ。 また、キラキラに光るメンコたちもそこでは価値ある交換財として流通していた。 そこはまさに僕らの経済の中心地だったのだ。 のみならず、そこは政治の中心地でもあった。 放課後の夕焼け空の下、僕らは店の前で毎日真剣に討議していた。 議題は、教室内における権力闘争から3流

    駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-
  • いきなりマジメな話をするのだが:「限界集落とネットカフェ難民はwin-winな関係になってみたらどうか」

    ここ数日マジメに考えていることに 都内や関東近県に発生している、「初期分譲マンションの限界集落化(限界集落マンション・ゴーストマンション)」を ネットカフェ難民と組み合わせてうまいとこなんとかならんものかというものがある。 「限界集落(げんかいしゅうらく)とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す」(Wikipedia)。 マンションの場合は空き部屋率が高く手入れをすることができる人間がいない、 建物の維持が費用的にも、人手的にもできない状態を指すと考えられる。 (都営住宅などの賃貸費用が格安の物件では、住民による草むしりなどの雑務が義務づけられているようだ) 「住民が高齢化すると、管理費支払いが滞り、マンションの老朽化によりさらに管理費が高くなるという悪循環が発生して、管理が悪くなって、徐々に若い元気な住民から

    いきなりマジメな話をするのだが:「限界集落とネットカフェ難民はwin-winな関係になってみたらどうか」