クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 文脈を共有するってのは、簡単じゃございません。 似たようなことを、講義中に話しているんですが、まだエントリにしていなかったので、簡単に。 論理の形式を教える小細工とか根拠 = データ + 論理とかアーギュメントで話すとかの続きです。 「(A)イリオモテヤマネコは絶滅寸前の動物である。だから、(B)私たちはイリオモテヤマネコを保護しなければいけない」という根拠(A)と主張(B)があったとき、このままでは、論理的には正しくありません。 でも、この文章を「正しくない」「まったく不可解な文章だ」と感じる人は、あまりいないでしょう。 なぜなら、我々は脳味噌の中で自動的に 「絶滅寸前の動物は、保護しなければいけな
最近「わらじの仲間」で登られている野上伊作氏の日記から。 このように真摯に山に向かえる姿勢を、爪の先だけでもいい、見習うことが出来ればと思う。 35という歳を今日迎えてしまったけれど、これから自分の人生がどうなるのかまったくわからない。笑顔で酒を飲む夜もあれば、どうしようもない絶望と過ごす夜もある。しかしどんな人生でも死が必ず救済してくれると思うと、自分の場合少しは心が安らぐのである。ペシミストというなかれ…カスタネダやネルーダを読めばわかる。南米の陽気な文化の根底には必ず死の影が潜んでいるのだ。生を強烈に謳歌しようとすれば、強い光の下に濃い影ができるように死が鮮明に浮かび上がるものだ。 山に付きまとう死の影、それが今の自分を正気たらしめていると思う。(中略) 今の文化、いや社会に圧倒的に欠落しているものは「死」そのものだ。見る価値すらないテレビや雑誌、社会そのものが死を隠蔽しようとしてい
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