2013年10月22日のブックマーク (2件)

  • エスカレーター歩くなって言うけどさ

    歩くことが可能な場所であり、歩くことで明らかなメリットがある(移動時間の短縮が出来る)のだから、エスカレーターを歩く人が出るのは当然。その行動をとどめることは出来ない。「エスカレーター歩くな」派の人って、終電の乗り換えに遅れそうなときでも、今にも漏れそうなウンコを我慢しているときでも、親友が今まさに処刑されそうなときでも、絶対にエスカレーターでは歩かないと言い切れんの? 「エスカレーターあるいちゃだめだって。。。。ごめんよセリヌン。。。」って言えるの? そのような人だけがエスカレーターを歩く人に石を投げなさい。急いでる人はそれぞれ事情があるのかもしれないのにさ。結局、「エスカレーター歩くな」派というのは、俺の正義を他人に強制したいだけなんだよ。急いでいる人の前に立ちふさがったり、口論してまで「歩くな」にこだわるなんて頭おかしい。普通の人はわざわざトラブルを拾いに行かない。だから、一定数の急

    msio
    msio 2013/10/22
    車間の詰めすぎとかも同じことを思うけど、その数秒でどれほどの得をしたことがあるのか知りたい。損の話が不要なのはどれほどの急ぎでも、急ぎ始めた時点で無理話だろうと思うし、早起きに勝てるのかと思うから。
  • 「仕事は結果がすべて」というウソ - 脱社畜ブログ

    子供の頃、父から何度も何度も、以下のような内容の話を聞かされた。 「学校では、頑張った人は評価されるかもしれない。しかし、就職して会社で仕事をするようになると、たとえどんなに頑張ったとしても、結果が出せないやつは評価されない。会社には、努力賞はない。仕事は結果がすべてなんだ」 だからお前は結果にこだわる人間になれ――とまで言われていたかどうかはちょっと覚えていないのだけど、「仕事は結果がすべて」というフレーズは心に残った。いずれは自分もそういう世界に行くのだろうか、怖いなぁ、いやだなぁ、と色々不安に思ったことを覚えている。 もっとも、一度就職して働くようになってからは、「仕事は結果がすべて」という主張は、実際には結構あやしいということに気づくようになった。特に、日企業で従業員をやるのであれば、「仕事は結果がすべて」というのは基的にはウソである。 経営者の視点で考える範囲においては、「仕

    「仕事は結果がすべて」というウソ - 脱社畜ブログ
    msio
    msio 2013/10/22
    タイトルで釣るような書き手さんだっけ・・・。結果は自分で判断するものではなく得られるものでそれを本人が結果として納得できるよう与える側はタイミング、評価基準をとか結果とは一つなのか等に続くと信じたい。