宮内庁が治定(じじょう)する(定める)天皇陵の「真偽」が問われている。 発端は、奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳の発掘調査である。天皇クラスの墓に限られる八角形の墳丘を持つとわかったほか、今月には古墳に寄り添うよう造られた未知の石室も確認された。「斉明天皇の陵(みささぎ)の前に孫の大田皇女(ひめみこ)を葬った」という「日本書紀」の記述に合致する発見で、研究者は斉明天皇の陵である可能性は限りなく高いとみている。 宮内庁治定の斉明天皇陵(越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ))は、隣の高取町にある。「今回を機に治定を見直しては」という論調が、メディアで目立つようになってきた。 現在、188ある陵(天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓所)は、ほとんどが江戸時代から明治にかけて定められた。考古学も未発達の時代に、「書紀」などに記された墓の場所を頼りに決めたのだから、科学的な検証が不十分なことは