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さべつとなるほどに関するmujigeのブックマーク (2)

  • ヨシノユギさんの裁判について議論に! - ばらいろのウェブログ(その3)

    実は全く予期していなかったのですが、このLIKEのオフ会の後半、ある参加者につかまってしまいヨシノユギさんの裁判について延々と議論をしてました。他のオフ会参加者と話す時間が無くなってしまったという点では残念ですが、じっくり話せたことは収穫でした。「手術に失敗はつきものだ」「壊死程度のことでは失敗とは言わない」「もっとひどい例もいっぱいある」「そんなに失敗したくなかったら、もっとオペの上手いところで手術すべきだった」「ちゃんと事前に医者の下調べをすべきだ」「そもそも大阪医大で第一例目の患者として手術することを選んだのが失敗」「裁判のおかげで(医者側が萎縮し)他のFtMが迷惑を被っている」「性同一性障害と言うな」など、ヨシノ裁判やヨシノさんへの批判点は特に新しい論点ではなかったのですが、その批判も実際にFtMとしての人生経験に裏付けられた感情や感覚に基づいての批判ではあり、実はそんなに距離の遠

    ヨシノユギさんの裁判について議論に! - ばらいろのウェブログ(その3)
  • 多数派には名前がない(多数派の「オフサイド トラップ」)。 - hituziのブログじゃがー

    少数派には名前がある(ベジタリアンをめぐって)。の続編と いいますか。逆の視点から おなじことを かきます。 多数派って、なあに。えーっと、社会のなかで 多数をしめる ひとたち? この社会に いっぱい いるひとたちのこと? 「ちょっと ずれたひとたち」以外ってこと? 自分が「ふつう」だと おもってしまえる ひとたちのこと? わたしが おもうに、多数派と少数派は、名前の あるなしで区別できる。少数派には名前がある。多数派には名前がない。これを ずばりと指摘したのが、アイデンティティの政治性を くわしく論じている 石川准(いしかわ・じゅん)さんだ。 障害者は、障害者というアイデンティティとか立場を引き受けるにせよ拒絶するにせよ、つねに「障害者」として振る舞わなければなりません。障害者というアイデンティティや立場から自由になろうとしても、それもまた障害者としての一つの「政治的な意味を帯びた」選択

    多数派には名前がない(多数派の「オフサイド トラップ」)。 - hituziのブログじゃがー
    mujige
    mujige 2009/05/02
    何度か読んだが、あらためてブクマ。
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