わたしたちは、「<朝鮮>をやめる。」ことが、はたしてできるのでしょうか。 「朝鮮」という国家と「朝鮮人」とを、わけて考えることが、できるのでしょうか。「朝鮮人」ではなく、「朝鮮」だけを批判し、「朝鮮」という国家を否定することができるのでしょうか。 高校のとき、朝鮮学校を卒業して、わたしと同じ日本の高校に入学をしてきたIさんという人がいました。Iさんは、本名の日本語読みの名前で通っていたので、名前を聞いてすぐに「在日」の人なのだと思いました。ただ、Iさんが本名を名乗っていたからといって、「在日」であるだろうということはわかっても、朝鮮学校出身の人だということがわかるわけではありません。でも、わたしはIさんが朝鮮学校を出た人だということを、Iさんとお話をする前から知っていました。それは、Iさんが高校の入学式に、チマ・チョゴリの制服を着て式に出ていたからでした(私服だったので、入学式の服装は
反骨の知識人ノーム・チョムスキー・マサチューセッツ工科大学教授が今年1月15日、南の月刊誌「民族21」の鄭己烈・中国社会科学院招聘教授のインタビュー(同誌3月号掲載)に応じている。 80歳になったばかりだが、「知識人にとって必要なものは勇気であり、平等と平和の闘いだけが世界を変える」と相変わらず意気軒昂だ。 ガンで長い間闘病中だった夫人が昨年末に他界。2年前の鄭教授によるインタビューの際には夫人を懸命に看護する氏の姿があった。 「家内とは60年を共にしたが、この数年間は非常に困難な状態にある。けれど、われわれにはよい思い出もたくさんある。…家内が最期の日を迎えるまで、私はすべての海外旅行計画を取り消した。しかし、私が自由に海外旅行できるようになれば、真っ先にコリアを訪問するつもりだ」と語っていた。夫人の健康悪化で延期されていた平壌、ソウル同時訪問も、今年中に実現される見通しだという。
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