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2018年7月2日のブックマーク (5件)

  • 「日本のようなチームにペナルティ課すべき」

    セネガルサッカー連盟 (FSF) はFIFAにフェアプレーポイントのルール見直しを求めた。セネガルはワールドカップの対戦相手の日よりイエローカードの数を多く出し、この新ルールが原因で敗退した初めての国となったことから、この点を問題視している。 日とセネガルは勝ち点、得点、得失点で引き分けとなっていたが、16強入りを果たしたのは西野朗監督率いる日チームだった。 「ペナルティを課す手段が必要だ」 日は6月28日のポーランド戦において1対0で敗退した。この試合中、サムライブルーの選手たちが試合終盤におとなしくボール回しに終始し、ポーランドも何とか取得した得点に満足して守りの姿勢に入ったことでヴォルゴグラード・アリーナにはサポーターによるブーイングの嵐が巻き起こった。 日とセネガルは2対2で引き分けていたため、FIFAが導入した新しいタイブレーク解決法のフェアプレーポイント制が初めてワー

    「日本のようなチームにペナルティ課すべき」
    mujisoshina
    mujisoshina 2018/07/02
    フェアプレーポイントというルールのデメリットをこれ以上無いくらいはっきりと示したことは、今後のルールを考える上でとても参考になると思う。
  • 「日本人の幸福って何なの?」とある留学生の投書がとても考えさせられる

    ⭐️Tomomi Shoji⭐︎ @tomomimilk1 @joker_masiro @joker_budou 確かに言う通り‼️ 昭和の方が何倍も良かった…しかし まさかここまで物価が上がり、首相が海外に大金をバラまき、税金も高く…複数の病気になったら全部には通えない世の中になるとは思わなかった。 貧富の差が極端な今の日… 2018-07-01 22:15:01 Takeshi @Joh_1982 @joker_masiro 当にそう感じている日々です。何のために頑張っているのか。自然に笑顔になれない日々を過ごしているのは間違いない。ただ、働けている場所があるから睡眠不足でも通勤しているのかもしれない。それでは、幸福とは言えない気がする今日この頃。 2018-07-01 22:25:21

    「日本人の幸福って何なの?」とある留学生の投書がとても考えさせられる
    mujisoshina
    mujisoshina 2018/07/02
    自殺する若者が増えていることよりも傘が無いことを心配する国民性
  • なぜ津田大介は炎上するのか?

    誌の鈴木編集長から「津田はよくネットで炎上しているようなので、反論の場を提供したい」というありがたい申し出をいただき、このコラムを書いている。 だが、いざキーボードに向かってみると、特に「反論」したいことなどないことに気づく。そもそも筆者は性格的に目立つのが好きな人間ではないし、いわゆる「炎上マーケティング」にも興味がない。筆者の「炎上」は、たいていの場合、他愛もない「個人としての素朴な所感」を述べたときに起きる。 いや、それどころか、最近は筆者が何も発言しなくても「津田はなんでいま問題になっている○○について言及しないのだ!」と燃やされることも増えた。筆者ほどの炎上上級者になると、発言などしなくても炎上できるということだ。発言しても発言しなくても炎上する。生きてるだけで丸儲け。もはや、手を触れずに相手を吹き飛ばす気功の達人の域である。どうせえっちゅうねん!! さて、特に反論したいと思わ

    なぜ津田大介は炎上するのか?
    mujisoshina
    mujisoshina 2018/07/02
    炎上している時の津田氏は「訳知り顔で語る半可通」というイメージ。基本的には知識も見識もあるはずなのに調査不足で誤認識していることが目立つので、「惜しい人」「残念な人」カテゴリーに入ってしまう。
  • 長州力が「西郷どん」でリキラリアット披露  長州藩の遊撃隊総督役で初大河 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    長州力が「西郷どん」でリキラリアット披露  長州藩の遊撃隊総督役で初大河

    長州力が「西郷どん」でリキラリアット披露  長州藩の遊撃隊総督役で初大河 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
    mujisoshina
    mujisoshina 2018/07/02
    石渡治の「白兵武者」かよ
  • われわれは反省すべきか、萎縮すべきか、Hagexの遺志を継ぐべきか - novtanの日常

    これは実質的にHagex氏の追悼エントリです。 - 「われわれ」とは主語の大きい話であるが、僕が件に対して最終的に言いたいことは、「信念に従って生きよ」ということである。信念に基づいた正義はしかし一つに決定することができるたぐいのものではない。だから何が正しいかを決定することにより、社会のあり方が規定され、規制されるような、あるべき姿とは正反対のものになってしまうことを恐れる。正しさとは常に変容するものであり、痛みなしの変容はありえない。痛みを恐れるばかりに無難であり続けることを全員が選ぶことが最も恐ろしい。 正義とは、必ずしも紳士的なものではない。むしろ、暴力的なものだ、と捉える人のほうが多いかもしれない。自分の信念に基づき正しさを提示することは他人の信念と当然ながら対立する。正義とは立場や情勢によって変わる、実に脆弱な概念でしかなくて、正しさはロジカルに担保されない。不正を憎む人と、

    われわれは反省すべきか、萎縮すべきか、Hagexの遺志を継ぐべきか - novtanの日常