► 2024 (1) ► 1月 (1) ► 2023 (2) ► 4月 (2) ► 2022 (9) ► 12月 (1) ► 11月 (2) ► 6月 (6) ► 2021 (16) ► 6月 (1) ► 5月 (2) ► 4月 (1) ► 3月 (1) ► 2月 (1) ► 1月 (10) ► 2020 (116) ► 12月 (2) ► 11月 (2) ► 10月 (1) ► 9月 (10) ► 8月 (21) ► 7月 (8) ► 6月 (3) ► 5月 (1) ► 3月 (1) ► 2月 (24) ► 1月 (43) ► 2019 (264) ► 12月 (26) ► 11月 (18) ► 10月 (8) ► 9月 (15) ► 8月 (19) ► 7月 (28) ► 6月 (31) ► 5月 (24) ► 4月 (34) ► 3月 (23) ► 2月 (8) ► 1月 (30)
1990年代前半から東芝でフラッシュメモリの開発を担当し、主力事業に成長させる技術を確立した竹内氏。その後米国でMBAを取得した、日本では異色といえるエンジニアだ。帰国後も同事業に携わり、世界のライバルと渡り合うも、事業の絶頂期に退社し、大学に転じた。同氏の目に今、日本の電機/半導体はどう映るのか。 →“異色のエンジニア” 竹内 健氏 ロングインタビュー(2)「エンジニアは好きなことだけやってる? そんなのウソです」へ続く 1990年代前半から東芝で当時「お荷物」事業だったフラッシュメモリの開発に携わり、多値セル技術を確立するなど、事業の成功に大きく貢献した竹内氏。同社在籍中に、技術だけの世界にいることを窮屈に感じ、「技術プラス経営の二刀流でいこう」と考え、米国に留学してMBAを取得した。日本のエンジニアとしては異色の人物である。帰国後も同事業で主導的な役割を果たし、技術とビジネスの両面で
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く