福島第一原子力発電所の事故が起きたあとの3月16日に家族を一度実家のある山口に戻した。結果的には次男を幼稚園の卒園式に出席させるため3月22日にまた東京に移動させることとなった。都内の放射性物質の児童・幼児への害と、尻切れトンボに次男の幼稚園通園を終わらせることの害を天秤にかけて、東京に戻すことを決めた。 だが、もし資金的に余裕があるのならば西日本に子ども達を移動させておきたい、という衝動は今も持っている。ご近所で真剣に、海外に移住しようかという話しが出たと家内から聞いた時には可能ならば実行に移すのが良いが、と返した。そのお宅は親御さんは英語が使えるし、小学生ならば言葉も環境の変化も吸収できる……とおもう。我が家は……子どもはともかく、家内がそこまでの環境の変化を受け入れられるか分からず、何よりも私が今の仕事を辞めて国境を越えて職を求める甲斐性があるか自問すれば恥じ入るばかりでしかない。