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2014年8月4日のブックマーク (4件)

  • 奥沢線(新奥沢線)死亡公告

    以前にも記したように、古い官報を読み漁っている日々が続いているが、今回は当blogでも何度も採り上げている池上電気鉄道奥沢線(新奥沢線)の死亡公告とも言うべき、1935年(昭和10年)11月30日付け官報に掲載された記事を紹介する。 以下に書き起こせば(漢字は現在のものに置き換え)、 鉄道一部運輸営業廃止実施 年九月十九日目黒蒲田電鉄株式会社ニ対シ雪ヶ谷、新奥沢間鉄道運輸営業廃止ノ件許可セル処 月一日之ヲ実施セル旨届出アリタリ(鉄道省) という何ともあっさりとした記事だが、必要十分な内容は持っている。既に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に合併されており、廃止申請は目黒蒲田電鉄が行ったわけだが、廃止許可後、およそ1か月半弱で廃止したのは当時としては長かったのか短かったのか、はたまた妥当だったのか…。 といったところで、今回はここまで。

    奥沢線(新奥沢線)死亡公告
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2014/08/04
    奥沢から雪谷大塚に鉄道が通っていたのか。奥沢駅から南に行く道沿いだったのだろうか
  • 昭和初期の杉並町(現 杉並区)にあった地名

    今回は、現在の東京都杉並区にあたる東京府豊多摩郡杉並町(大正15年=1926年6月1日に村制から町制に移行)の大字・小字名が列挙されている地図を眺めながら、あれこれ語っていこうという感じで進めていく。 昭和初期の地図なので、字は右から左に読み、右上に見える「町方野」とあるのは「野方町」と読む。では、この図に見える地名を拾ってみよう。まずは大字名から。 高円寺 馬橋 阿佐ヶ谷 天沼 田端 成宗 以上、6大字。この6大字は明治22年(1889年)に市制町村制が施行された際、6つの村が合併して杉並村となったが、合併前の6村がそのまま6大字となったもので、江戸期以前よりの名称を継承している。高円寺、阿佐ヶ谷は現JR中央線の駅名にも採用されたこともあって、現在までその名が町名として生き続けている。他に天沼が残っているが、一方で公式には失われたものも3つある。このうち、田端と成宗は現在の成田東、成田西

    昭和初期の杉並町(現 杉並区)にあった地名
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2014/08/04
    杉並の方の天沼など小字について書かれた文章をみつけた
  • 白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「鉄道王国の歩み」 第5回 東京急行電鉄(2)

    執筆者プロフィール ●震災後に広まった「郊外志向」 大正12年(1923)9月1日。折悪しくちょうど昼時に南関東を襲った巨大な地震により、昼餉のための火は各地で燃え広がり、都市部の密集市街地を焼き尽くす最悪の事態を引き起こした。その結果は東京市での10万人を超える犠牲者数である。まさに「地獄絵」を目の当たりにして逃げ延びた多くの市民にとって、安全のために郊外に住みたいという意識は切実なものだったに違いない。 東急のルーツにあたる田園都市株式会社は、もちろんこの震災を受けて会社を立ち上げたわけではなく、それ以前から大都市で働く中流勤労者の理想的な居住地としての郊外住宅地─田園都市を提唱し、それは着実に評価を得ていた。その住宅地と都心を結ぶための足として建設されたのが、田園都市の子会社・目黒蒲田電鉄(現東急目黒線・多摩川線・大井町線の前身)である。その最初の路線が開通したのは震災の半年前に

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2014/08/04
    馬込といっても千束や大岡山の方だが大正期の地図が引用されていて見入ってしまった
  • タレントの土建屋よしゆきさん死去:朝日新聞デジタル

    土建屋よしゆきさん(どけんや・よしゆき=タレント、名廣部吉行〈ひろべ・よしゆき〉)が7月31日、肝不全で死去、58歳。通夜は3日午後7時から、葬儀は4日午前11時から京都府宇治市槙島町目川190の1のセレマ槙島シティホールで。喪主は長男有利(ゆうり)さん。 元タレントの島田紳助さんと交流が深く、「紳助の人間マンダラ」(関西テレビ)や「クイズ!紳助くん」(朝日放送)などに出演した。

    タレントの土建屋よしゆきさん死去:朝日新聞デジタル
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2014/08/04
    うっわ若い……関西離れてて身体壊してはるなんて知らんかった。ご冥福を。