2017年9月5日のブックマーク (2件)

  • 神童→東大法学部→暴言議員という"定番" | プレジデントオンライン

    子どもの頃、あなたに周りにもきっといたはずの「神童」たち。みんなの期待と羨望を一身に受け、エリートコースを歩んでいった神童たちは、それからどうなったのか。教育ジャーナリスト・小林哲夫氏の新著『神童は大人になってどうなったのか』から、あの有名議員の「伝説」をご紹介します。 ※以下は小林哲夫『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)の第7章、「残念な神童たち」からの抜粋です。 森茉莉から「大蔵美人」呼ばれた人物 神童と呼ばれた女子が、わたしが通っていた小学校の1年先輩にいた。 朝長さつき。1959年生まれ。浦和市立高砂小学校(現、さいたま市立高砂小)のころ、同校始まって以来の天才少女が現れたと言われたのである。それは幼いわたしの耳にも入ってきた。「天才」ということばの意味を初めて知ったのは、朝長の存在によってである。あまりにも頭がよかったので、彼女はちょっとした有名人だった。 高砂小学校

    神童→東大法学部→暴言議員という"定番" | プレジデントオンライン
    mumero
    mumero 2017/09/05
    典型的な逆学歴差別。学歴と暴言を吐く可能性は比例しないというならまだしも、定番と言い切っている。比例すると言い切っている。この人教育ジャーナリストなんだ…。
  • 初音ミクとニコニコ動画の思い出

    初音ミクが発売されてから10年が経ったみたいだ。 最近はめっきり離れてしまったけれど、初音ミクがリリースされたときは大学生でいわゆる”ニコ厨"だったから、まさに初音ミクに熱狂していた当事者だった。 初音ミクがあれだけ受け入れられた理由は色々なところで語られているだろうけれど、自分自身の思い出として、これ以上記憶が薄れる前に簡単に当時の記憶を書き留めておきたい。 — 私が大学一年生のとき、ニコニコ動画(仮)のサービスが始まった。今のように独自の動画があるわけではなく、YouTubeの動画を利用してその上に文字が重なる方式だった。それは爆発的に話題となり、ネットに入り浸っていた私は気づけば暇さえあればニコニコ動画を見るようになっていた。 その後程なくしてニコニコ動画のサービスが止まり、暫くたった後、会員登録が必要なサイトとなって新たなサービスが始まった。会員登録をしたら負けだと思ったのか、しば

    初音ミクとニコニコ動画の思い出
    mumero
    mumero 2017/09/05
    誰になにを訴えたいのか全くわからないけど、色々思いを巡らせてしまいその一つ一つがぐっと来るまさにポエム。名文。