2015年9月15日のブックマーク (1件)

  • 「前九年の役」遺構(厨川柵、安倍館跡)を巡る盛岡散歩=散策コース地図付き= - むらごんの思い込みWeblog

    「前九年の役」で最後の砦として激戦地となった厨川柵、安倍館跡とされる盛岡市内の遺構を巡ります。 一般に「前九年の役(1051-1062年)」は、陸奥の豪族安倍頼時(頼良)と息子である貞任・宗任らが起こした反乱を、朝廷側の源頼義・義家親子が平定した戦役とされています。 陸奥守であった藤原登任、後任の陸奥守・鎮守府将軍として赴任した源頼義が、陸奥の支配により、黄金や馬を手中に収めたいという狙いがあったいう説もあります。 「前九年の役」概略 安倍氏は衣川柵に拠点を置く、陸奥土着のいわゆる蝦夷(えみし)の有力豪族でした。朝廷側との争いは、藤原登任との「鬼切部の戦い(1051)」での安倍氏側の圧勝に端を発します。藤原登任はこの戦いで陸奥守を更迭されました。 翌年(1052)、事態収拾を図るために源頼義が陸奥守として赴任します。同年、後冷泉天皇の祖母上東門院の病気快癒祈願の為、大赦が行われて安倍氏も罪

    「前九年の役」遺構(厨川柵、安倍館跡)を巡る盛岡散歩=散策コース地図付き= - むらごんの思い込みWeblog
    muragon
    muragon 2015/09/15