ブックマーク / kikuutan.hatenablog.com (6)

  • チャーチルの決断に見る人間の慈悲の限界とは - 親鸞に学ぶ幸福論

    【慈悲(1)】 ■仏教では人間の慈悲には、三つの欠点があると説かれていますが、 今日はそのうち『盲目の慈悲』という問題点を 掘り下げてみたいと思います。 ■「エニグマ」とは、当時、解読不可能といわれていた ナチスドイツの誇る暗号です イギリスは、エニグマ解読に約1万人を投入し、 ついに解読に成功します。 その結果、ドイツがコベントリーという町を 11月14日に空襲すると判明しました。 情報はチャーチルのもとに伝えられ、暗号研究所のメンバーは、 イギリス軍がドイツ軍を返り討ちするニュースを 心待ちにしていました。 ところが、チャーチルはこの情報を無視します。 コベントリーは無防備のまま空襲を受け、 街は壊滅的な被害を受けました。 ■このとき、チャーチルは、コベントリーを失うことよりも、 イギリスの暗号解読能力を知られることを恐れたのです。 この難しい政治的決断を、後にチャーチルは 『第2次世

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    murasakai
    murasakai 2016/07/26
  • ガリレオを否定した科学者の話しを竹内薫『99.9%は仮説』で紹介している - 親鸞に学ぶ幸福論

    【業界(2)】 竹内薫『99.9%は仮説』の中に、 “天文学の父”ガリレオ・ガリレイの逸話が 次のように紹介されています。 面白いので、文章の一部を抜粋します。 ====== 1610年の4月のこと。 ガリレオはイタリアのボローニャに24人もの大学教授を集めて、 自作の望遠鏡を披露しました。 期待にワクワクしながら、ガリレオは、まず彼らに望遠鏡で 地上の様子をみてもらいました。 すると、どうでしょう。 望遠鏡を覗きこむと、山や森や建築物など、 はるか遠くにあるものが、ドーンと眼の前に映し出されます。 「これはすごい!」と教授たちはその迫力に驚き、 ガリレオを称賛しました。 当時、イタリアでは、 だれもまだ望遠鏡をみたことがなかったのです。 しかし、話はこれで終わりません。 つぎにガリレオは教授たちに、望遠鏡で天体をみせたのです。 すると、どうでしょう。 それまではボンヤリとした光る点にすぎ

    ガリレオを否定した科学者の話しを竹内薫『99.9%は仮説』で紹介している - 親鸞に学ぶ幸福論
    murasakai
    murasakai 2016/07/06
  • 心は馬の如し、猿の如し - 親鸞に学ぶ幸福論

    前回より『三業』の中で『意業』を最も重視するのが 仏教だとお話ししております。 今回お話ししたいのは、三業の中で、 最も激しくタネをまいているのも『意業』である、ということです。 『身業』こそ、駅行ったり、会社行ったり、 立ったり、しゃがんだり、駆けたりなんだりと 一日中激しいのでないか、と思われがちですが、 『意業』はもっと激しく動いています。 机に向かって仕事していれば身体はほとんど動かさないですが、 心の中はめまぐるしく動いています。 もうすぐランチだ、どこべに行こうかな、と思えば 地下のレストラン街に心はぴゅーっと飛んでいく、 今日は帰ったらあのゲームしよう、と思えば 自宅に心はぴゅーーっと飛んでいく 心はあっち行ったりこっち行ったり、 脈絡なく激しく動き回っています。 口でしゃべることも、 心で思う様々な事柄の中から慎重に言葉を選んで 思っていることのほんの僅かを口にする程度で

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    murasakai
    murasakai 2016/07/04
  • 「三業」が私たちの運命を決定すると説く仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論

    仏教に『三業(さんごう)』という言葉があります。 『業(ごう)』とは『行為』のことですから、 『三業』とは「三つの行い」ということです。 私たちは三方向からいろいろな行いをします。 ○身業(しんごう) ○口業(くごう) ○意業(いごう) の三つです。 『身業』とは身体の行い。 歩くとか、座るとか、寝るとか、べるとか、 身体でしていることです。 今現在なら私は木製のテーブルにノートパソコンを置いて この文章を打ち込んでいますが、 これは『身業』です。 『口業』とは、口の行い。しゃべることです。 日々いろいろな人と会話していますが、 そのしゃべっている行いを『口業』といいます。 今、私は一人黙々と作業しているので、 もう5時間近く『口業』はしていません。 『意業』とは心の行いです。 心が行うと聞くと、違和感を感じられかもしれません 「行為」「行動」というと ふつうは身体を動かすことだからです

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    murasakai 2016/06/26
  • 千日の稽古を鍛といい、万日の稽古を練という - 親鸞に学ぶ幸福論

    ■「千日の稽古を鍛といい、万日の稽古を練という」 これは剣聖とうたわれた武蔵の言葉です。 何か習い事をすると、 基に忠実に、丁寧に、作法を守って・・・と 徹底的に型を教えられます。 窮屈な感じしますが、やはり大事なことなんですよね。 ■はじめてソウルに旅行に行った時、 もう20年以上前のことですが、、 一番の思い出は、焼肉がおいしかったことです。 肉の種類自体はたいしたことがなかったのですが、 サンチェに蒔いて、キムチやナムルを巻いてべるのは、 大変新鮮でした。 今でこそ、日人みな知っていますが、 当時はそういうべ方は私も知らなくて、 肉に合う野菜が20種類くらいずらっと並んでいて、 そこから、チョイスするべ方に感動しました。 ■アメリカ人が、30年前、日でサンドイッチを注文すると、 あのペラペラのパンに 薄いハムやレタスが挟んでいるアレが出てきて、 「ばかにしているのか」

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    murasakai 2016/05/27
  • 人生で失敗するときは、たいていこんな時 - 親鸞に学ぶ幸福論

    2日間にわたって、苦しい時は気を付けよという話をしましたが、 また同時に気を付けなければならない時がもう一つあります。 それは物事が上手くいっている時です。 成功した時、褒められた時、大金を手にした時など、 舞い上がるような事態は気を付けねばなりません。 「好事魔多し」と昔からことわざにあるとおりです。 調子いい時は慢心がでてくるからです。 これが怖ろしい。 仏教では六大煩悩の一つに「慢」があげられていますが、 108の煩悩の中でも特に私たちを煩わせ、 悩ませる6つの中の1つなのです。 ○調子いい時は、道を踏み外しやすい時です。 「これくらいしてもいいだろう」と思ってしまうのです。 ○調子いい時は、横柄になり、 人を傷つけるようなことを言ってしまいます。 ○調子いい時は、人が呆れるような、 みっともない自慢話をひけらかしてしまいがちです。 ○調子いい時は、自分を過信して、慎重さに欠き、 ふ

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    murasakai
    murasakai 2016/05/02
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