2020年5月27日のブックマーク (2件)

  • より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

    被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ

    より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
    murashu7
    murashu7 2020/05/27
    「彼の情熱と私の情熱が、非常に共感しあえた時というのはあったと思っています。」
  • 漢字は「旁」に注目した方が「音」と「語源」をつかみやすく覚えやすい

    普通の漢和辞典は部首引きで、つまり漢字を「偏」で分類して配列している。 手偏なら手に関係あるものが集まるから、関係のある文字が集まって便利がいいだろうと思う人がいるかもしれないが、実は同じ「旁」を持つものを集めた方がわかりやすい点が多い。 漢字のでき方を大きく4つに分けると「象形」「指示」「会意」「形声」となるが、このうち「形声」に分類される漢字が一番多い。 「形声」とは、一言で言うと、意味を表す部分「意符」と音を表す部分「音符」(声符)とから成り立つ漢字である。 これらを念頭に置くと、 (1) まず「音符」(声符)は、部首でない部分であることが多い。 なんとなれば、部首とは意味による分類であり、これは偏による分類であるからである。 つまり、偏が「意符」を担い、それ以外の部分(つまり「旁」と呼ばれる部分)が、「音符」(声符)を担うことが多い。 ぶっちゃけ、「旁」にあたる部分が同じならば、漢

    漢字は「旁」に注目した方が「音」と「語源」をつかみやすく覚えやすい
    murashu7
    murashu7 2020/05/27