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生活と貧困に関するmuryan_tap3のブックマーク (2)

  • 「貧困は自己責任か否か」という不毛な議論に、終止符を。|永井悠大

    先日、貧困支援の現場に身を置くと相談者には「頑張りすぎて」しまう人が多いということを痛感するという旨のツイートをした。 貧困支援の現場に身を置いてみてホントに強く感じたことだけど、相談者には「頑張りすぎて」しまう人が多い。日では子どもの頃から「しんどくても頑張れ」と言われることが多いけど、この教育は抜的に変えた方がいい。子どもに第一に教えるべきは「しんどくなる前にSOSを出すこと」ですよ。 — 永井悠大 (@nytissue) December 7, 2020 貧困と努力に関わる議論においては、きまって「頑張れるのに貧困なんておかしい」といった意見をよく目にする印象があったが、引用リツイートなどの内容を見ると今回は割と共感を示してくださる人が多かったのに驚いた。 他方で、全く「頑張らない(ように見える)人」がいないのかというと勿論そんなことはない。 現場で多くの困窮者と出会えば出会うほ

    「貧困は自己責任か否か」という不毛な議論に、終止符を。|永井悠大
  • 「お金がなくて困っている」という家庭を訪問するとモノであふれ、子供用のおもちゃがたくさんあったりする話

    鴻巣麻里香【思春期のしんどさってなんだろう?平凡社より発売中】 @marikakonosu 「お金がなくて困っている」という家庭を訪問するとモノで溢れていて特に子どものおもちゃ(特撮系アイテムやゲーム機)が山ほどあったりする。これは単なる無計画な散財ではなく「子どもに説明しNOと言う」や「必要なものとそうでないものを仕分ける」エネルギーが欠乏しているから。それこそが貧困→ 鴻巣麻里香【思春期のしんどさってなんだろう?平凡社より発売中】 @marikakonosu 貧困は思考し判断し対話するエネルギーを奪う。そして貧困だからこそ「モノが無い・買えない」ことを強く恐れる。貧困故に「子どもに惨めな思いをさせたくない」と願い、子どもの要求にNOと言えなくなってしまう。「子どもの期待に応えられない自分」を不甲斐なく感じ、その葛藤から逃れるために→

    「お金がなくて困っている」という家庭を訪問するとモノであふれ、子供用のおもちゃがたくさんあったりする話
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