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音楽に関するmusicdaisuki1990のブックマーク (51)

  • 長戸大幸プロデューサーと歩んだZARD(坂井泉水)の軌跡 | 90年秋、長戸大幸プロデューサーの下、ZARD(坂井泉水)プロジェクトが発足。ヴォーカル坂井泉水さんの当時の作風について取り上げたブログです。

    長戸大幸プロデューサーと歩んだZARD(坂井泉水)の軌跡 90年秋、長戸大幸プロデューサーの下、ZARD(坂井泉水)プロジェクトが発足。ヴォーカル坂井泉水さんの当時の作風について取り上げたブログです。 先月号でもご紹介しましたようにZARDの1993年の上半期を振り返ると、1月27日に6thシングル「負けないで」、4月21日に7thシングル「君がいない」、5月19日に8thシングル「揺れる想い」をリリース、また6月9日にリリースされたZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄のシングル「果てしない夢を」に参加しました。いずれも大ヒットし、満を持して4枚目のアルバム『揺れる想い』がリリースされました。ZARDのアルバムとしては初のオリコン週間初登場1位を記録し、通算でも5回1位を獲得、累計で200万枚以上を売り上げ、ZARDの代表的なオリジナル・アルバムの一つになり

  • 長戸大幸音楽プロデューサーとMi-Ke:楽天ブログ

    2014年02月12日 Mi-Ke カテゴリ:長戸大幸 このシリーズの第1回目にもご紹介しましたように、音楽プロデューサー長戸大幸さんは1989年に新レーベル[Rhizome(リゾーム)]を立ち上げ、ブルース、R&B、AOR等、大人の為の音楽を制作、発信していきました。そのレーベルから、TUBEを軸にした夏を売りにしたバンド[渚のオールスターズ]に参加していた、近藤房之介さん(Vo.&G)、坪倉唯子さん(Vo.)、栗林誠一郎さん(B.&Vo.)、増崎孝司さん([DIMENSION]のギタリスト)が次々とリリースしていきました。その彼らが母体となって1990年に結成されたのが、B.B.クィーンズです。そのB.B.クィーンズにコーラスで参加したのが、翌91年にシングル「思い出の九十九里浜」でデビューしたMi-Keです。今回は彼女たちがB.B.クイーンズに参加した経緯も含めてご紹介しましょう。

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  • 長戸大幸プロデューサー率いる音楽制作会社ビーイング - HOME

  • 長戸大幸ビーイングの系譜

    長戸大幸プロデューサーが1978年に立ち上げた「ビーイング」 長戸大幸プロデューサーが1978年に立ち上げた「ビーイング」。今はレコード会社として流通の販売網も有するグループ会社なのだが、元々はシンプルで純粋な音楽制作集団だった。 長戸氏は作曲家・編曲家として第一線で活躍し、その後プロデューサーとして、B’z、TUBE、BOOWY、LOUDNESS、B.B.クィーンズ、Mi-Ke、ZARD、T-BOLAN、WANDS、大黒摩季、DEEN、FIELD OF VIEW、小松未歩、倉木麻衣、GARNET CROW、愛内里菜など、数多くのアーティストをプロデュースし、デビューさせている。 またギタリストに関しても、布袋寅泰(ex. BOOWY)、高崎晃(LOUDESS)、北島健二、土方隆行、松孝弘(B’z)、松川ラン敏也、増崎孝司(DIMENSION)、春畑道哉(TUBE)、五味孝氏(ex. T

  • B’z と 長戸大幸(プロデューサー)

    長戸大幸氏がプロデュースしたB'zは、1988年9月21日にSg「だからその手を離して」 、AL「B'z」をリリースしてデビュー! このころは、衣装を買う為に稲葉さんが松さんにお金を借りて買ったと当時を振り返っている。 1989年5月21日に2nd AL「OFF THE LOCK」をリリースしてデビュー! このとき、稲葉さんは歌詞を生み出すのに一日中スタジオにこもっていて大変だったことを初期のLIVEで述べている。 その5ヶ月後には1st Mini Album「BAD COMMUNICATION」をリリースしてミリオンセールスを突破! このあたりからメディア露出が頻繁になってきており、会社や長戸大幸氏がさらにプロデュースに力を入れていくことになっていく。 松孝弘は、80年代前半(1983年にはBeingに在籍している。)に長戸大幸氏に才能を買われBeingに所属した後、早川めぐみ、杉

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  • 俺達の音楽

    長戸大幸プロデューサーがバンドをプロデュースする場合、バンドが丸ごとプロダクションを訪れる形式よりも、このようにミュージシャン同士を組ませるパターンの方が多いです。 そしてバンドの方向性を決めるにあたり、”まず専門店としてやっていく”というのがあります。 例えばマライアならプログレッシブ・ロック、DIMENSIONならフュージョン、というような感じです。 例えば、飲店をやる時、看板を店の名前だけではなく、”和””イタリアン””フレンチ”というように明確に打ち出した方が、通りがかった人にも分かりやすく、お店に入りやすい、というもの。 さらに、ミュージシャンに対しては、どんなジャンルの音楽にもチャレンジして精通するような姿勢が求められます。 ロックもやればジャズもやる、というような事です。 また演奏家としてだけではなく、例えば作詞・作曲・編曲家としても作品を残せるような取り組みも重要です。

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  • 長戸大幸は数多くのアーティストをプロデュース - 長戸大幸 イズム’s blog

    長戸大幸プロデューサーが1978年に立ち上げた「ビーイング」。今はレコード会社として流通の販売網も有するグループ会社なのだが、元々はシンプルで純粋な音楽制作集団だった。長戸大幸氏は作曲家・編曲家として第一線で活躍し、その後プロデューサーとして、B’z、TUBE、BOOWY、LOUDNESS、B.B.クィーンズ、Mi-Ke、ZARD、T-BOLAN、WANDS、大黒摩季、DEEN、FIELD OF VIEW、小松未歩、倉木麻衣、GARNET CROW、愛内里菜など、数多くのアーティストをプロデュースし、デビューさせている。 またギタリストに関しても、布袋寅泰(ex. BOOWY)、高崎晃(LOUDESS)、北島健二、土方隆行、松孝弘(B’z)、松川ラン敏也、増崎孝司(DIMENSION)、春畑道哉(TUBE)、五味孝氏(ex. T-BOLAN)、柴崎浩(ex. WANDS)、大賀好修(Se

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  • 長戸大幸プロデューサー論

    前回のブログで、さらっと書いたのが[TUBEは最初の4年間は冬にも活動していた]というもの。 85年に結成してから88年まで、年に2枚アルバムを出して、ツアーもやっていたのだ。 それが、90年からはリリースしてライヴ、という図式が定着していった。 シングル「あ~夏休み」のヒットしたのも、この年。 この、「旬の時に出し続ける」というのは、長戸大幸氏のやり方のような気がする。 年に2枚のアルバムとシングル、またライヴも季節問わず数多くやり、渚のオールスターズにも参加、前田亘輝氏、春畑道哉氏は、ソロアルバムも出し続けていた。 同じ長戸大幸氏の手掛けたB'zは、90年にブレイクしたのだが、この年はフルアルバム2枚、miniアルバム1枚、シングル5枚!! TUBE、そしてB'z。 いずれも長戸大幸氏の指導のもと、この膨大な制作をやれたから、生き抜けたんだろう。 TUBEは、夏バンドとして、もう長い事

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  • 長戸大幸/大黒摩季

    かつてビーインググループに所属し、自身の代表曲の多くをその時期に生み出し、今でも多くの根強いファンをもつ大黒摩季。 当時、姿を現さず声のみが世間に届けられており、“実在しないのでは”と囁かれていたこともあった。 その謎に包まれた神秘性も彼女のブレークに一役買っていたに違いない。

    長戸大幸/大黒摩季
  • 長戸大幸 の歌詞 作詞者