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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • ランキングという化け物を乗りこなすことができるのだろうか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    小さな屋の密やかなコミュニケーション ボクは屋が大好きで屋を見るとつい入りたくなるし、精神的にまいったときなど、大きな屋にいってブラブラしてると落ちついたりする。小さな屋は売れ筋のものが店頭の前面を占めていて、どこでも同じように感じるが、色々な屋に行くとそれぞれに特徴があることがわかる。それはビジネス街の屋にはビジネス書が多くあるというような地域性以上に、なぜこんな小さな屋にこんながあるんだろうというものである。 なぜか精神世界系のが多い屋、あるいは何らかの傾向を持った哲学系のが並んでいる屋など。屋がどのようなシステムで運営されているか知らないが、それが小さな屋のささやかな個性なのだろうか。こんなところでこんなマニアックなは売れないだろうと思うと、誰が買うのか売れていたりする。マニアックなを置き、ささやかに自己主張する屋さんと、それを買う常連客の間に密か

    ランキングという化け物を乗りこなすことができるのだろうか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜドラマ「14才の母」はうすら寒いのか  死と情動とリアリティ   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    恋愛ドラマのリアリティ ドラマは基的に障害がありそれを乗り越えることが描かれる。特徴的なのが恋愛ドラマだ。男女が障害を乗り越え結ばれることを基にする。問題は障害をどのような設定にするか。このような障害設定は時代背景を反映する。 たとえば「ロミオとジュリエット」では、障害は家柄であり、駆け落ちものでは身分である。かつてはそのような社会的な秩序(拘束)がリアリティをもっていた。 韓国ドラマは障害のデパートである。韓国ではいまでも日では失われつつある家族関係、家柄などの社会的な秩序(拘束)が重要視されているために、恋愛ドラマでも重要な障害として描かれる。オバサンたちが韓流を好むのは、彼女達が若い頃にも日でもまだこのような社会的秩序(拘束)が働いていたためだ。 最近の若い人たちではそのような社会的秩序(拘束)は、お互い好きなら良いじゃん!と、リアリティを持ちえない。 「不治の病」ドラマとい

    なぜドラマ「14才の母」はうすら寒いのか  死と情動とリアリティ   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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