スターリン時代のソ連が防衛戦略を強いられた最大の理由はいうまでもなくアメリカの核戦力です。ソ連は1949年に原爆実験に成功し、重ねて1953年には水爆実験まで行い、直ちに核戦力を手に入れたような印象がありますが、ソ連側の宣伝とは異なり、その実態は1960年代を迎えるまで核戦力としてはほぼ丸腰に近い状況でした。「スプートニクショック」や「ミサイルギャップ」と呼ばれる騒動を迎えた時期でさえ、アメリカを相手に全面核戦争を戦う力はまったくありません。 1960年になってもソ連にはアメリカ本土を狙える強力な核戦力(射程距離7000kmを誇るも誘導装置を目標から500km以内に設置しなければならず、実質的に米本土を狙うことができないSS-6とアメリカ本土向けの前進基地を欠いた少数の長距離爆撃機部隊のみ)がないどころか、戦場で使用する小型核兵器の部隊配備はアメリカに大きく遅れ、203mm核砲弾の開発は行