ブックマーク / onoya.hatenablog.com (2)

  • ヲタ芸再考 - onoya's blog

    前回のエントリを引き継いで、ヲタ芸について考える。過去2年くらいで書いてきたこともふまえて。 ちょっと仕事まで時間がないから途中まで書きます。 1.ヲタ芸の発生 ヲタ芸は広義のものとしてはPPPHも含むとは思うが、批判の対象になるヲタ芸はOAD・ロマンス・マワリ・MIX等になってくると思う。それらが一体どのように発生したのか。おそらく(2000〜2003あたりの)ハロ紺の存在が大きかったのだと考える。 OAD・ロマンス・マワリを現在の形態に完成させた・普及させたのはハロヲタだろうと思う。言うまでもなく、これらのヲタ芸はステージの演者を見ない志向性がある。ヲタ芸をする者はそれに自覚的である。では、なぜわざわざコンサートに来てヲタ芸をするのか、それは不毛ではないのか。そうではない。なぜなら、ハロ紺(ハロープロジェクト総出演のライブ)では、特に好きでもないメンバーが多数出演するため、正直言えばス

    ヲタ芸再考 - onoya's blog
    myoda
    myoda 2008/05/25
    客が現場で荒れるのは、ステージが未熟な証拠だよね。何も考えなくても客を虜に出来るステージならば、現場は荒れない。良いステージは魅せられるからね。
  • 庄司は大事? - onoya's blog

    さて、藤の件である。 「責任」とか「軽率」とか、違う。もういい、それはいい。というか僕は、多くの人が諦観でなく書かれているように、これ自体はショックを受けるべき事態ではないと思っている。 そんなことよりも心配すべきは、「アイドルである人間が「アイドル」であるということに未練がないのではないか」ということだ。その場合、彼女に対する追及は意味をなさないのではないか。それは、死刑になっても構わないと思っている人間が殺人を犯したことに対して、責任を問うという虚しさであったり、あるいは愚かさを自覚した上でヲタ活動をしているヲタに「愚かだ」と言う意味のなさだったりと同様のものである。 つまり、あるルールの範疇から自覚的に逸脱する者に対して、そのルールに則った説得をするという場合のもどかしさである。例えば倫理・道徳という点では、「ある共同体内部でうまくやっていきたいなら守れよ」っていうのが基で(まあ

    庄司は大事? - onoya's blog
    myoda
    myoda 2007/05/30
  • 1