小松左京事務所イオは3月12日、1970年の大阪万博開催に先立ち、小松左京が構想段階で参加した分科会の議事録が新たに氏の自宅から発見されたと発表した。同じく立案に参加した岡本太郎や手塚治虫、文化人類学者の梅棹忠夫など、当時30代だった戦後文化のリーダー達の声が伝わる資料である。 見つかったのは、万博の6年前に発足した「万国博を考える会」の議事録など計10点。書庫から未整理の状態で発見された。考える会は民間の有志が独自に結成したもので、2011年7月亡くなった『日本沈没』のSF作家や万博の敷地内にみんぱくを開館した学者、社会学者の加藤秀俊が中心メンバーとなった。後に岡本太郎や手塚治虫、SF作家星新一を加え、「人類と進歩の調和」という大阪万博の理念を練り上げた。当時はまだ新人作家だった左京はこの時行政機関と直接接したことが、万博の3年後『日本沈没』を書く時に大いに参考になったと晩年の『SF魂』