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ブックマーク / hayabusa.jaxa.jp (7)

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎

    2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎 私が「はやぶさ」に関わっていたのは、主に打上げ前、つまり「はやぶさ」がMUSES-Cと呼ばれていた頃です。 その「MUSES-C」改め「はやぶさ」を再び目で見ることができるとは、正直思っていませんでした。それは、カプセル帰還の映像で、一緒に大気圏に突入して燃え尽きる姿でしたが、まさに華々しく散る様子。自分たちが精魂込めて作り上げたものが、灼熱の中で焼けていく姿は、悲しいというよりも、とても美しく、また、最期を看取ることができた、という感慨がわいてきました。 探査機の「はやぶさ」がこれほど注目を集めることになった、というのは、嬉しい反面、驚いてもいます。 たとえば、打上げの半年くらい前に、「はやぶさ」(当時はMUSES-C)の話をしに、西日の某都市に出かけたときは、数百人入る会

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2010/07/05
    「打上げの半年くらい前に、「はやぶさ」(当時はMUSES-C)の話をしに、西日本の某都市に出かけたときは、数百人入る会場で、聴講者はたったの数人でした」
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月18日 7年越しのラストショット マルチバンド分光カメラ(AMICA)チーム 十亀 昭人(東海大学)

    2010年6月18日 7年越しのラストショット マルチバンド分光カメラ(AMICA)チーム 十亀 昭人(東海大学) 「はやぶさ」の打上げが迫った2002年、私は「はやぶさ」AMICAチームのリーダー齋藤潤氏から呼び出されました。 彼は私のかつての上司であり、私が東海大学に移った後も懇意にさせて頂いておりました。その彼からおもむろに「実は、君にしかできない仕事がある。AMICAのカメラ性能を試す最後の試験をするための小型の積分球を作って欲しい」と告げられました。 「君にしかできない」とは、私のものづくり魂に火を着けるために、幾分、“ゲタ”を履かせた言葉であったとは思いますが、そう言われて意気に感じない訳にはいかず、どのように作るのかも分からぬまま、ふたつ返事で「私でよければやらせてもらいます」と答えていました。 打上げまでに残された期間は僅か数ヶ月。その間に何としても使用に耐える精度の積分球

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月18日 「はやぶさ」からの最後の信号 スーパバイザ・軌道決定 竹内 央

    2010年6月18日 「はやぶさ」からの最後の信号 スーパバイザ・軌道決定 竹内 央 この画像は、6月13日 22:28頃、「はやぶさ」が地球との最後の交信を終え、通信のための電波の信号が消えてゆく瞬間を捕らえたものです。 全ての仕事をやり終えた「はやぶさ」は、このおよそ23分後に、大気圏に突入し燃え尽きました。 「はやぶさ」は、7年間の間ほぼ毎日(一時音信不通の時期もありましたが)、このような電波の信号を使って地球と通信を続け、貴重なデータを送り続けてくれました。 私は、このような電波信号の波形を詳細に解析することにより、探査機が飛行している位置を求める技術の開発を行っています。( ISASメールマガジン第208号「探査機の軌道決定」) 探査機の位置を正確に推定するためには、世界中の遠く離れたアンテナ同士が協力して電波信号を受信する必要があります。そのため、必然的に、海外の宇宙機関との間

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2010/06/18
    おおお。はやぶさの最後の交信……
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月15日 帰還を終えて NECはやぶさシステムマネージャ 大島 武

    2010年6月15日 帰還を終えて NECはやぶさシステムマネージャ 大島 武 1996年のGW明けに、かねてから希望していたシステム部門に異動となり、初めて担当したのが、MUSES-C(はやぶさ)でした。右も左も分からず、「リプロって何?」などと言いながらも、がむしゃらに取り組んでいたことが思い出されます。(注:リプロはReproduceの略で、データレコーダを再生すること。) 2003年5月に打ち上げられ、無事にイオンエンジンも立ち上がると、私自身は、金星探査機PLANET-C(あかつき)の開発の方に軸足が移ってしまいましたが、それでも、2004年の地球Swing Byの時や、2005年のイトカワ ランデブー/タッチダウンの時などには、軸足を戻し、(時には)必死で対応してきました。 ここ暫くは、「あかつき」の打上げもあり、「はやぶさ」から離れてしまっていましたが、最後の最後、カプセル分

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2010/06/16
    「QLをOFFさえしなければ、君が、あたかもそこに存在し続けるかのように...」
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月13日 約束 サンプラ担当、SV、回収隊・方探班本部、科学・輸送班 矢野 創

    2010年6月13日 約束 サンプラ担当、SV、回収隊・方探班部、科学・輸送班 矢野 創 はやぶさへ、 いまは6月13日朝。僕は、オーストラリアのウーメラ砂漠の宿で一人、君への手紙を書いている。 君が内之浦の5月晴れの空に吸い込まれていったあの日から、もう7年が過ぎたね。今朝のウーメラも、打上げの日の内之浦みたいに雲ひとつない青空で、窓から入ってくるひんやりした風が、心地いいよ。 「はやぶさ、いってらっしゃい。」 2003年。僕は、君のお腹の中にあるサンプラに、打上げ直前まで地球の汚染物質を入れないように窒素ガスを送り続けるため、科学者として最初に内之浦に入った。打上げ12時間前にM-Vロケット先端のフェアリングに包まれた君からガスチューブを抜いて蓋をする、最後の一人でもあった。フェアリングのアクセス窓を閉じたときに君にささやいたのが、この言葉。そのとき君はまだ「MUSES-C」と呼ばれ

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2010/06/14
    via @BeDai 「これは名文。フックになる抜粋しようと思ったけどもったいない」 まさに。「おかえりなさい。」また泣かせられてしまう……
  • はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    トピックス 2013年4月1日 「はやぶさ」プロジェクトチームの解散について 「はやぶさ」プロジェクトは、プロジェクト終了の審議に付され、当初の目的を達成すると共にプロジェクト業務を全うしたと認められ、2013年3月末をもってチームは解散となりました。 ご尽力頂いた各方面関係各位、応援いただいた世界中の方々に報告するとともに、お礼を申し上げます。 ここまでの成果は後続の宇宙事業に必ずや貢献することでしょう。尚、小惑星サンプルおよびそれを維持管理するキュレーション業務は、月・惑星探査プログラムグループから宇宙科学研究所へ移管され、今後の科学研究に供されます。 2013年1月10日 第2回「はやぶさ」サンプル国際研究公募を開始 小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った小惑星「イトカワ」の微粒子(サンプル)について、第2回目の国際研究公募(国際AO)を開始しました。 (新しいウィンドウが開きます)

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年4月15日 「はやぶさ」、そうまでして君は。 プロジェクトマネージャ 川口 淳一郎

    2010年4月15日 「はやぶさ」、そうまでして君は。 プロジェクトマネージャ 川口 淳一郎 「はやぶさ」の帰還がせまるなか、2009年11月、すべてのイオンエンジンの寿命がつき、運用停止に追い込まれた。だが、われわれプロジェクトは、彼をあきらめさせることなく、動くものはなんであれ動員してあらためて走りださせることに成功した。いや走らせてしまった。運用再開を喜ぶなかで、私は、若干複雑な気持ちも併せてもっていた。「はやぶさ」は、当は帰還を嫌がったのではないか。知ってか、知らずか、「はやぶさ」を待ち受ける運命は、大気再突入で燃え尽きることだ。もちろん、子のカプセルを運び、ともかくも所定のレールに載せた後にはなるのだが。 どうして君はこれほどまでに指令に応えてくれるのか?そんなにまでして。イオンエンジンの運転が再開したとき、そんな気持ちをもってしまった。われわれが、方策を考えあぐねていたならば

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2010/04/15
    「どうして君はこれほどまでに指令に応えてくれるのか?そんなにまでして。」燃え尽きるさだめというのに,ズタボロになりながらただ自分に望まれた使命を果たすはやぶさたん。。。。
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