2010年7月5日 「はやぶさ」が「MUSES-C」と呼ばれていた頃 推進系・ターゲットマーカ担当 澤井 秀次郎 私が「はやぶさ」に関わっていたのは、主に打上げ前、つまり「はやぶさ」がMUSES-Cと呼ばれていた頃です。 その「MUSES-C」改め「はやぶさ」を再び目で見ることができるとは、正直思っていませんでした。それは、カプセル帰還の映像で、一緒に大気圏に突入して燃え尽きる姿でしたが、まさに華々しく散る様子。自分たちが精魂込めて作り上げたものが、灼熱の中で焼けていく姿は、悲しいというよりも、とても美しく、また、最期を看取ることができた、という感慨がわいてきました。 探査機の「はやぶさ」がこれほど注目を集めることになった、というのは、嬉しい反面、驚いてもいます。 たとえば、打上げの半年くらい前に、「はやぶさ」(当時はMUSES-C)の話をしに、西日本の某都市に出かけたときは、数百人入る会