初版道 @signbonbon フォロワーさんが就職の面接試験で趣味を聞かれ、「推しの作家の」と言いかけたところで「差別用語はダメだよ」と怒鳴られました。「『好きな作家』であれば誤解されなかったのでしょうが、自分的にはかなり意味が違うので。ただ全く想定外の言葉でした」とあります。ちなみに内定は辞退したそうです。
岡本タブー郎/BLACKザ・タブー編集部 @the_taboo_ 元雑誌編集者。URECCO編集部配属→廃刊→GON!編集部異動→逮捕→実話ナックルズ編集部異動→BLACKザ・タブー創刊→クビ→会社倒産→公園暮らし→2022年東京脱出(イマココ) YouTubeチャンネルは、youtube.com/@BLACK-kh5un/f…だよ。 blackthetaboo.com 岡本タブー郎/BLACKザ・タブー編集部 @the_taboo_ フジテレビの報道番組が弊社で書籍化した障害者スポーツで頑張る女性を密着したいと言ってきた。本の紹介をしてくれるならと了承してノーギャラでOKを出した。2ヶ月も密着したあげく「本の紹介は約束できない」「もっと彼女の過去の悲惨な写真ないのか」と言い出してきたので(つづく) 岡本タブー郎/BLACKザ・タブー編集部 @the_taboo_ 彼女の何を映したいの?
私が一番関心のある問題を形式化し、存立構造をモデル化して説明を与えようとすると、「人間」(フーコーの言う)以前のところで最低限の身体的な制約を与える必要がある。 このことには数年前から気づいていたのだが、まさにそれが大きな理由の一つとなって、自分の一番重要な問題については書くことを避ける状況が続いていた。 身体性の制約を理論に取り込むのがこれほどまでに嫌なのはなぜだろう。この点については、自分が問題を意識し言語化して考え始めた1980年代の時代性という点からも考えていたが、『言語』2008年6月号「コミュニケーションの身体性」特集で、神尾陽子氏の「身体性なきコミュニケーション」を読んで、大きな理由がはっきりわかった。 内容的にはそれはそれとして興味深い記事なのだが、例えば次のようなところ(ちなみにこれは要約引用的位置づけの文である): 通常の会話では、コミュニケーションは言語的要素よりもむ
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