2016年2月22日のブックマーク (1件)

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    1972年12月末をもって解散した「はっぴいえんど」において、他のメンバーが個々の志向を強めていったのに対し、あくまでもロック・バンドに自身のアイデンティを求めた鈴木茂は、はっぴいえんど以前にトリオ編成のロック・バンド「SKYE(スカイ)」を小原礼とともに組んでいた林立夫に構想を打ち明ける。その結果林からの提案で、林とともに「フォー・ジョー・ハーフ」の元メンバーだった松任谷正隆をメンバーに加えることを決め、残ったベーシストを小原と細野晴臣のどちらにするか迷ったものの細野に決まり、「キャラメル・ママ」が誕生した[注釈 1]。 ところが適切なヴォーカリスト不在のままスタートしたことが、その後のバンド活動に大きな影を落とすことになる。細野のファースト・ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』[注釈 2]のレコーディングを行って以降、そのまま南正人[注釈 3]や吉田美奈子[注釈 4]、南佳孝[注

    mzfckr
    mzfckr 2016/02/22
    鈴木茂, 佐藤博, 田中章弘, 林敏明