Statement 樺太庁恵須取郡恵須取町。北海道から北へ50kmも満たない位置にあり、現在はサハリンという地名でロシアの一部とされているが、記録の上では1949年まで日本の一部として存在した、私の祖母の故郷である。恵子、という名前の由来は、おそらく町名からとられたのであろう。学校の同じ組には「恵子ちゃん」が5、6人いたと祖母は言う。当時、急速な発展を遂げる王子製紙で働いていた曾祖父の縁あって、付属の病院で看護婦として働いていた祖母は、カーチャ、と呼ばれていた。「けいこ」という名前はどうもロシア人にとって発音しづらかったらしく、頭文字のKをとって、Katja(カーチャ)というあだ名がついた。幼い頃から聞かされた祖母の昔話には、ロシア語が登場し、ロシア人との交流の様子や、寒い地域ならではの風習など、祖母の田舎をおとぎ話のように想像するのが楽しかった。そんなぼんやりとしたイメージを、年を重ね、