嬉しかったんかな
東方のゆっくりボイスや音声合成を使った2人のかけあいによる解説動画、ようはゆっくり解説がどこにでもある。 あれの良い点は、視聴者に直接語りかけずに聞き手を用意できる点にある。 基本的に教える側は誰にどのくらいのないようを伝えるかに苦心する。詳しく書きたいが視聴者のレベルがわからないと単なる独り言になる。だから自身を先生役・生徒役にすることで視聴者をオーディエンスという立ち位置でき、テレビを見ている感覚にさせられる。 見ている方は理解できない場合でも生徒役にそれを代弁してもらえればハードルは下がる。なにより面白く作りやすい。 逆に視聴者を固定化していたり、内容が固い場合、あるいは物作り系などは中身に集中させたいので掛け合いが少ない。というより作るのが手間なんだよね ところでこういう解説系のフォーマットってそろそろ新しいのが出てこないかな いまあるのは ゆっくりを用いた掛け合いプレゼン資料を使
子供のころ、体育の授業は割と好きであった。 体を動かし、ゲームに興じるのが楽しいということは理解できる。 だが、スポーツ観戦の面白さというものが全く理解できない。 野球とか、親戚でもない他人が棒切れ振り回して球飛ばしてるだけやで。 応援たって、無駄な練習を繰り返したおじさんが棒切れで球を遠くに飛ばしても、社会も自分の人生も何も変わらんのだ。 無駄な行為の達成のために応援するのってどうなんだ? わざと人生を浪費させたいのか? サッカーなんてわざわざ手を使わないマゾ縛りで玉ころ蹴りあってるだけやで。 そんなにボールを目的地に運びたかったら重機で大量に運搬しろ。科学の力で戦え。 駅伝はもっと酷い。 ただ走ってる、いつ見ても走ってる。 しかも2日も走ってる。 ただ人が走ってるのを呆然と眺めて何が面白いのだろうか。 理解できない。
とにかく登校拒否で家で一日テレビ見たり本を読んだりして過ごした 幸いなことに貧しくない家庭だった 最新PCやマイコンなんかでプログラムを自主学習して遊ぶことも出来た 好きな時に起きて寝て、自由気ままに過ごしていたが、親は子の将来が気が気ではなかったようだ 学校には行かなかったが公文に通わされたりして計算力だけはつけさせられたりもした さすがに九九が出来ないようでは社会に出るのは厳しいと思われたのだろう 転機が訪れたのは10歳 親は自分よりも早くに死ぬことを理解し、そろそろ社会復帰するかと重い腰を上げた 元不登校児というだけで小学中学とイジメにもあったりしたが殺す気で反撃していたらそのうちイジメは止んだ 幼少期のプログラム経験のおかげでIT業界の底辺に潜り込んでそこそこ貯金も溜まった コロナ禍を切っ掛けにニートデビューを果たした 子供の頃に生活が戻り、とっても快適 この世の憂さとはおさらば、
底辺職ランキングが大炎上して「彼らの事を底辺職と呼ぶのがうんぬんかんぬん」って色んな人が騒いだけど、騒いだ人らは誰一人として底辺職で働く気無いよね 彼らは「必要、立派」って口を揃えて言うけど子供の面倒見てくれるから、休日にサービスを提供してくれるから、親の介護をしてくれるからという利用者側の視点でしかない 言ってしまうと奴隷を使う貴族の視点 底辺職の人らが底辺から抜け出すと困るのは底辺職呼びを批判してた利用者なんだからそれは当然の事ではある 本来であれば底辺である事を自分たちで認めて待遇の改善をしていくのが正しいんだけど、それはサービスの値上げに繋がるから使う側が困る 底辺職の人らには底辺職だと気づかずに「誇れる仕事だ」「社会の役に立ってる」とおだてあげて今のまま、もっというと賃金そのままでサービス向上してくれると貴族様方は安心するのであります なんとなく「やりがい」で若者を長時間労働させ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く