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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (9)

  • ナインティナイン矢部浩之の決断 - てれびのスキマ

    11月27日。134日ぶりに『めちゃイケ』に復帰した岡村隆史。 その放送を見た水道橋博士はTwitterでこうツイートしている。 時代に選ばれた人がエースの役を担う。身を削りながらも労も厭わずマウンドへ立つ。我々はもし自分だったらと思いを馳せながら観客席から応援を送る。俺の代わりに彼はやってくれていると信じながら。エースの帰還。泣いて笑う。土曜日8時の大河ドラマのエースナンバーは受け継がれている。 2010-11-28 01:21:01 via web 生やさしい感動路線と言うなかれ。そう思う貴方は若く、人生を点に過ぎないと思っている。大多数の平凡な人生の代償行為を小さいおじさんは笑いに殉じて無私の精神でやってきた。あらゆる喜怒哀楽を飲み込むものがお笑いでしょう。 2010-11-28 02:58:57 via web これらを受け相沢さん(@aizawaaa)はこうツイートしている。 エ

  • 草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ

    間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象

    草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ
  • タモリのたたずまい- てれびのスキマ

    5月3日に放送された「笑っていいとも!増刊号」の1コーナー「座っていいとも!」の中で木曜レギュラー陣とフリートークを交わしていたタモさん。 その中で、タモリがバラエティ番組出演中でも自然体でテンションが低い秘密を明かしていました。 何度も同様な趣旨なことは語られていますが、大事な話なので、また記録しておきます。 タモリ: あのねえ、俺から言わせてもらえば、皆が力入れ過ぎなの。 徳井 : せめて「続いては○○でーす!」っていうところくらいは普通張るじゃないですか。 高島 : 一番張ったのはいつですか? タモリ: 結構今日でも張ってたよ、俺は。 鶴瓶 : 張ってたの、あれで? タモリ: 俺にしては恥ずかしいくらい張ってたよ。 徳井 : いや、でもCM明けて「(呟くように)いいとも選手権で〜す」ってくらいじゃないですか。 タモリ: 違う違う、もっと張ってた。「い、い、と、も、選手権!」って。 鶴

    タモリのたたずまい- てれびのスキマ
    na23
    na23 2009/05/10
    「やる気のある奴は、去れ」けだし名言
  • 2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」

    映画ファンならずとも、昨年の*1の「日アカデミー大賞」の選考に唖然となった記憶が残っている人は多いだろう。それ以外の多くの賞レースで賞を総なめにしていた「それでもボクはやってない」をほとんど無視し、主催の日テレが出資した「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」がほとんどを独占するという理解しがたい結果*2だった。 もちろん、「東京タワー」も松尾スズキの脚を読んだ関係者からの前評判は高かったし、オダギリジョー、樹木希林ら役者陣は好演していたものの、「それでもボクはやってない」を押しぬけて賞をほぼ独占するのはとても納得のいく選考*3とはいえなかった。 その授賞式の微妙な空気はテレビ中継を見た人ならよく覚えているのではないか。 松尾スズキの場違いな場所にいるという居心地の悪さ丸出しの表情、奇抜な衣装でやってきて苦笑いしかできないオダギリジョー……。 そしてそれに拍車をかけたのが樹木希林だ

    2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」
  • ぼくらの知らないケンドーコバヤシ - てれびのスキマ

    「クイック・ジャパン (Vol.76)」では、ケンドーコバヤシが「『当の自分』を語る」と題して20,000字のロングインタビューを受けています。 この内容が非常に面白かったのでごく一部を引用して紹介します。 特に印象に残ったのはこの話。 学園祭の出し物の脚を頼まれて、書いたことはありましたね。「ワニはなぜ仲間をうのか?」みたいな内容で。結論は「(全体を)減らしたってんのや!」みたいなもので。多分、人類の口減らしをテーマにしたようなを読んだからだと思いますよ。でもシュールで哲学的な作風のものになるのがイヤで、観ている人にはそんな理屈がわからんような、ドタバタのコメディにした覚えがありますねえ。 これは、何気にケンコバの芸人としての根幹を成すようなエピソードではないかと。 他にも、興味深い話が満載。 小学校に上がるくらいの時には、手塚治虫の漫画はだいたい全部読破していましたからね。僕に

    na23
    na23 2008/02/11
    「面白くないことでも、人は笑ってくれるんです。笑いなんて所詮あいまいな感情だから」なるほど。ケンドーコバヤシって知らんのだが。
  • 母親も語る麻生久美子の過酷な少女時代 - てれびのスキマ

    『hon-nin vol.03』の、吉田豪による「hon-nin列伝」(「hon-nin列伝 セキララなオンナたち ( 2)」にも収録)で、麻生久美子人からあっけらかんと語られた壮絶な少女時代の貧乏話。 その話を裏付けるように彼女の母親のインタビューが「週刊現代」2月26日号(2月2日発売号)に掲載されていた。 それを読むと、麻生久美子自身が語った、その濃すぎる内容は、それでもまだ実際の生活よりは薄くしていたのだということが判る。 例えば「『また同じの着てる。あいつん家、貧乏だからしょうがねえよ』みたいな、そういう延長で石とか投げられたことがあって、それで額にまだ傷があるんですけど。」と人が語った文字どおり"石を投げられた"イジメ話は、母の記憶では、さらに命の危険にも及ぶ。 久美子はただ貧乏だというだけでよくイジメられてたの。石を投げられたり、突然、道路で押されて、車に轢かれそう

    na23
    na23 2008/02/11
    今の時代にこんな人が。
  • てれびのスキマ - 岡村隆史はなぜ心を閉ざすのか?

    以前、「ジャングルTV〜タモリの法則〜」(94年〜02年)という番組があった。 その中の「ジャングルクッキング」というコーナー内で、タモリがレギュラーであったナインティナインの岡村隆史に対して、突然「お前、ちょっと閉鎖的だよ」と口を開いたことがある。 今でこそ、岡村のナイーブで生真面目な性格は一般に知られているが、当時は果たしてどうだったかは記憶にない。が、やはり世間的には岡村といえばどちらかといえばハイテンションで陽気なイメージだったのではないだろうか。 にもかかわらずゴールデンタイムのこの番組で、前述のタモリの一言がきっかけで「岡村はなぜ心を閉ざすのか?」をテーマにレギュラー陣(タモリ、ナイナイ、関根勤、新山千春)で議論が行われることとなった。*1 「番組上だけで、控室に行くと心を閉ざしている」と問題提起するタモリ。 矢部浩之の証言。 ・高校時代のサーカー部ではムードメーカーだった。

    てれびのスキマ - 岡村隆史はなぜ心を閉ざすのか?
    na23
    na23 2007/09/17
    岡村の気持ちがわかる。
  • てれびのスキマ - 芸人の笑いへのこだわりに満ちた言葉

    ▼【名言】芸人の笑いへのこだわりに満ちた言葉 1 :名無しさん :2006/10/29(日) 08:49:54 スポーツの出来る奴、勉強の出来る奴、 ケンカのできる奴、女にモテる奴、 家が金持ちの奴、そんな人間を羨ましく思った。 子供の頃の話である。 神が人間をつくったと偉ぶるなら 「それが どうした」と、言ってやる。 オレは笑いをつくっている。 −−松 人志 2 :名無しさん :2006/10/29(日) 08:52:34 自分より絶対バカだと思うヤツに、 「あいつバカだよ」って笑われたい。 −−ダチョウ倶楽部 3 :名無しさん :2006/10/29(日) 08:54:45 ほんまにさ、人生って ひと笑いで変わると思ってんのよ、 すごい力持ってると思うし、 その力をすごく信じてんのよ。 −−田中直樹 4 :名無しさん :2006/10/29(日) 08:55:35 目の前で悲しんでい

    てれびのスキマ - 芸人の笑いへのこだわりに満ちた言葉
    na23
    na23 2006/11/25
    明石家さんまもたまに真実を言う。
  • 超能力少年と呼ばれて|てれびのスキマ

    清田君が大麻で逮捕されてしまい、そうなると当然、こういうふうにすべてが否定されて報道されてしまう。あの時のように……。残念。 実は以下のエントリは最近また徐々にメディアに露出をし始めた清田君を見て準備していたもの。そんな時にこんなことになってしまうとは。 1962年、寿司屋を経営する清田喜徳、せつ子夫の間に生まれた長男が、後にエスパー清田君と呼ばれることになる清田益章である。 少年清田は「こりゃあ精神科行きかな」と心配されるほど、両親から見ると「とんでもない嘘つき」に見えた。 何かが部屋の中にいるとか、誰かが入ってきたとか、そんなことばかりしょっちゅう言っていたという。 しかし、程なくして彼は両親を次々と驚かせていく。 例えば部屋をぐちゃぐちゃに散らかした時。母親が「片付けろ」と怒る。すると、ものの5分も経たないうちにすっかり綺麗になっていたというのだ。 「玩具とかさ、例えば部屋の隅にあ

    超能力少年と呼ばれて|てれびのスキマ
    na23
    na23 2006/11/25
    超能力はともかく欲望のありようがまったく平凡そのものだってことは痛いほどわかる。
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