デリダに関するnagataのブックマーク (4)

  • 生きてみた感想

    誰でもが容易に、そして広範囲に発信できるようになった。この現代の技術的条件は、表現の自由という考え方に質的な変化をもたらしているのじゃないか。この文章は、この変化の可能性についての簡単な覚書です。きっかけとなったのは、アメリカ大統領のツイッターアカウントが永久凍結されたこと。この出来事をめぐってさまざまな議論が展開されているのを見て、すべての議論の前提となるとても大きな問題が潜んでいるんじゃないかと思うようになったのでした。 考察の出発点となるのは、ごくごくシンプルな事実です。それは、印刷技術の時代に生まれた表現の自由というコンセプトのもとで想定されていた自由というものが、現代から見るときわめて制約されたものであったということ。だってツイッターもフェイスブックもインスタグラムもないんだから、なにを表現してもいいよと言われたからといって、実際に行使できる影響力には限りがある。自由を与えられ

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  • umadaのブックマーク - はてなブックマーク

    この広告は60日以上更新がないブログに表示されております。 新しい記事を書くことで広告を消すことができます。 まだ文はありませんが、覚書として、問題点を箇条書きにしておきたいと思います。 第一章 ① 「責任のインフレ」は誰にとってのものなのか? という点。これは、理論的には、ルーマン・システム論における「複雑性の増大」という認識の問題に相当します。ルーマンの場合、「複雑性」(の落差)は、システムか観察者いずれの視点から見出されるのか? という問題になると思います。この点は河英夫氏がルーマンを批判する点でもありますが(詳しくは、Luhmann & Autopoiesis をご覧ください)、この問題が結論の第七章の問題に直結しています。 ② 「責任のインフレ」という認識の前提にある「コミュニケーションの同定と帰責」の等置の問題。両者を等置することはできません。コミュニケーショ

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