特集「映画『記者たち〜衝撃と畏怖の真実〜』イラク戦争当時、アメリカで一体、何が起きていたのか?」ロブ・ライナー×高橋和夫×神保哲生×荻上チキ
伊東 この記事が公開される5月21日は日本で裁判員制度がスタートする日です。そこで、この制度以前に日本国憲法の下で最初の刑事訴訟法を書かれた團藤重光先生に、未来を担う世代の高校生たち向けに、法律や裁判に関する基本的な考え方を直接ご教授いただくゼミナールを準備してみました。 團藤 皆さんよくいらっしゃいました。どうぞおかけください。 (一同緊張の面持ち) 伊東 学生のみんなは、私が毎月1回都内の学士会館で開いている「團藤フォーラム」という勉強会で、発表と質疑応答をしてくれた高校生の中から希望者を募り、4人の高校3年生と一緒に團藤先生をお訪ねしました。まず自己紹介から始めましょう。 開出君 開出雄介です。僕の高校では「卒業論文」の制度があるのですが、そのテーマについて伊東先生に指導してほしいと手紙を書いたところ「團藤フォーラムで発表してみないか?」とご提案を頂いたのがきっかけで、今日は伺うこと
前回の議論に、僕のツイッターを含めてたいへん建設的なコメントを多数頂きました。ありがとうございます。ただ、あれをまとめたのは確かに私ですが、内容は本質的に刑法の團藤重光先生から教えていただいた内容を整理しただけのことなので、瑕疵があれば私の責任ですが、内容に美点があればすべて團藤先生のご指導によるものです(参考:「破壊と創成から考える『裁判員制度』」「法科大学院は『セミの抜け殻』でいいのか?」)。 1945年、焦土と化した日本にGHQ(連合国軍総司令部)が進駐してきて、新たに憲法から国を創り直すことになった。その時、刑事法体系をゼロから書き直された張本人が團藤先生にほかなりません。戦後60年を支えた「團藤刑訴法」は裁判員制度の導入と共に終わりを告げました。この直前、 とおっしゃられて、頭をぶん殴られたような気持ちになりました。ケタが全然違う、話にならないスケールで悠久せまらざる御姿勢で教え
伊東(以下――) 今月、つまり2009年5月21日に、いよいよ日本で「裁判員制度」が導入されます。そこで64年前の1945年から、第2次世界大戦後の「司法改革」に当たられ、GHQと折衝しながら現行の刑事訴訟法・・・いや、今や旧刑事訴訟法というべきかもしれませんが、世界的にも完備で名高い刑事法体系を自ら書き上げられた團藤先生に、2009年5月時点でのご所見や、私たち一般国民が意識しておくとよいことなどを、まとめてお伺いしておきたいと思いました。そもそも先生は裁判員制度にはご反対だったのですよね? 團藤 ええ、僕自身は今出ている裁判員の制度には反対なんです。でも、決まってしまったものは、それに即して実務を考えてゆかなきゃならないでしょう。 ―― 僕もご教示いただいて、そのように思いまして、先生とご一緒させていただいた『反骨のコツ』(朝日新書)のあと、「裁判員制度」の問題を積み残した宿題のように
よろしくお願いします。 pic.twitter.com/SA9bIa2kUn— 落合洋司🇯🇵 「ニチョウ 東京地検特捜部特別分室」発売中! (@yjochi) 2019年2月5日 ブログやツイッターをご覧いただき、ありがとうございます。2004年6月以来、様々な事件、事故、事象についてコメントし現在に至っています。本ブログ内の検索機能も利用されつつ、気楽にご覧いただければと思います。 テレビ等、各種メディアの取材を受けることが時々あります。 取材を受けこのように紹介されることもあります。 発売中。 pic.twitter.com/2AOuep1IbI— 落合洋司 Yoji Ochiai (@yjochi) 2017年6月17日 元検事の弁護士で、1989年に任官後、11年5か月、捜査・公判に従事し、弁護士に転じた後、2000年から2007年までは、ヤフー株式会社法務部でも勤務していまし
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