私が作曲を志した十代の時、音楽における先輩あるいは師匠として心を惹かれたのは、いわゆる「(生まれながらの)天才」型の作曲家ではなく、「独学(あるいは自律型)」の作曲家たちだった。 なにしろ私自身、幼少の頃から音楽の英才教育を受けたわけでも、早熟な天才として育ったでもない。本を読んだり絵を描いたり科学に興味を持ったりした挙げ句、十代の後半にようやく「音楽」に辿り着いた「回り道」組である。 今さら物心つく前から音楽一筋の(モーツァルトのような)アポロ型天才タイプにはなれるはずもないし、もう一度幼少時代に戻って絶対音感やピアノの習得など出来るはずもない。だから、早熟の天才たちの音楽には心打たれるにしても、その路線の音楽語法は自分とは無縁であると割り切ってしまっていたわけなのだ。 それに、早熟な「天才」というのは、要するに物心つく前から「親」に音楽を仕込まれた「他律型」の促成栽培の別名であって、自