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ブックマーク / ekken.blog1.fc2.com (6)

  • ブログに必要性を感じないもの、いくつか:ekken

    もう「ブログそのもの」に関する話題って、あんまり盛り上がらないだろうなぁ、などと思っていたのだけど、前回書いたブログにあると嬉しいものいくつか  が意外と多くの反応が見られたので、チョーシこいて続きのようなものを書いちゃったりするわけです。というか、始めから二部構成のつもりだったんだけど。 今度は、ごちゃごちゃになったブログのデザインをシェイプアップするために考えた、「ブログ不要と思われるもの」を挙げてみました。 時計のブログパーツ 存在意義がわからない度ナンバーワン。閲覧者にとっても、運営者にとっても必要性があるとは思えないのが、時刻を表示するアクセサリー。デスクトップ画面のタスクバーに時刻が表示されているし、それが見難いのなら、デスクトップアクセサリーとしての時計があれば、ブログパーツとしての時計は必要性を感じないなぁ。時間が知りたいのならモニターの横にでっかい目覚まし時計を置いた方が

    nakakzs
    nakakzs 2012/04/29
    自動記録のリンク元表示は、昔はSEO効果があったかもしれないけど、今はそれ狙って関係ないアフィサイトが言及なしアクセスしてくるから、かえってつけないほうがいい感じかも。画像はアクセントかな。
  • ブログ移転の際の過去ログ取扱いについて:ekken

    無料サービスを利用して長いことブログをやっていると、そのサービスについてなんらかの不満が出てくることがある。 蓄積されたログを考えると、安易に移転するのはどうかと思う物の、サービス会社の今後の対応に期待できない場合は移転せざるを得なくなることも。 以下、ブログの移動で、膨大な過去ログの扱いをどうするかについて… - kuroihikariの日記 を読んで考えたこと。 いまのサービスに何か不満を感じたとき、ブログサービスを変えようかな… と思うが、そのとき考えるのは、膨大に蓄積した過去ログをどうするか?なのだ。 2006年春に、それまで2年間使ってきたgooブログから、現在利用しているFC2ブログに移転した。 当時「トラックバックの文化圏衝突問題」というのがあって、「同じような話題を取り扱っていれば、どんどんトラックバックして良いよ!」という関連仲間文化圏と、「トラックバックは言及相手にだけ

  • 「面白い記事だったので、タンブラしました」…がどんだけのブロガーを無気力にさせているか少しは考えろ:ekken

    ……タイトルは分かる人にだけ分かれば良いと思って書いたネタです。 私がブログを日常的に書き始めた2004年頃、「こんな面白いブログがあったよ」と、ほぼ全文転載しているようなブログをたまに見かけたけれど、そのほとんどは転載元のブロガーを始め多くの閲覧者の不評を買い、記事を削除したり、あるいはアカウントを抹消して消えていったものだった。転載元のリンクを表記しているものの、「引用」と言えるようなものではなく、他人の書いたものをそのままコピペしたようなものは、多くの人にとって受け入れ難いものとして扱われていたように思う。 ところが、Tumblrが流行りだした頃から、無断転載に対して寛容な空気が出来始めたようだ。部分的に転載するのならともかくも、そのブログの面白いところを大部分、場合によっては全文を転載し、Tumblrユーザーによって共有されてしまう。「Tumblrってそーゆーものなのに、なに目くじ

    nakakzs
    nakakzs 2011/10/22
    場合(載せられ方)によるかなあ。
  • ウェブサイト上の「善意」に関する雑感:ekken

    批判を回避するために「善意」を持ち出してはいけない 予想以上に拡がっている「善意の転載」問題(ekken♂ : 他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒くこと参照)ですが、チェーンテキストに対する嫌悪感を意思表示した記事に対し、「善意でやっていることを批判するなんて……」という主旨の言及がされました。 しかし「善意が動機の行動」は必ずしも正しい物ではありません。 「みんなの善意だから」「良かれと思ってやっていることなのに」は、それが正しい事ならともかく、間違いだった時に拡がる事を止め難くなるのです。 善意の行動が好ましい事ではないと指摘された時に持ち出される「善意だから批判するな」は、単なる批判回避です。「善意」を持ち出すことで、「私を批判しないで」という圧力をかけているのです。 善意を持ち出す多くの人には一片の悪意もないことと思いますが、そう思う人が多いことを利用すれば、悪意の隠れ蓑に

    nakakzs
    nakakzs 2010/04/10
    目に見えてわかりやすい「悪(悪意、悪人)」はあまり存在しない。殆どの場合、「善(善意、善人)」というものにコーティングされている。例の法律(って、あてはまるものがいっぱいありそうだが)なんかも。
  • 他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒くこと:ekken

    その記事で訴えたいことは「いじめを苦に自殺予告をした子供を、ネットの善意で救おう」ということであり、これはまぁ理解出来ないことではない。 しかしそれを閲覧者の「善意」で転載して欲しいと訴えることが理解不能。 その情報を広めるにあたって、Yahoo!ブログの転載機能の使用を促す必要性があるのか。 書かれた文章が「自分のオリジナルである」ことを強く主張している割には、文で書かれている事はほとんどがどこかから仕入れてきた情報を並べているだけ。しかも「転載はオリジナルから行うこと」を強く促し、Yahoo!ブログの機能で自動的に記録される「トラックバック先の記事」表示された検索トラックバックは40箇所。 穿った見方かもしれないが、僕には楽しむYahoo!ブログの作り方♪のOYAJIさんの被リンク数増大キャンペーンに思えた。 既にテレビや新聞などのマスメディアが大々的に報道をしている「誰でも知ってい

  • 「見ません」宣言について:ekken

    「リファラやTrackBack、ブクマコメント、2ちゃんねるは見ません!」とわざわざ宣言している人ほど見ている - ARTIFACT@ハテナ系 「見ません」「来ません」が「ずっと観察してやる」の粘着宣言であることは多いよね。 そもそもブログを書いていること自体が自己顕示欲を満たす行為なんじゃないのと思っていて、多くの場合、傍から見たら自意識過剰だったりするのだけど、他人からあからさまにそれを指摘されるのはイヤなよう。「リファラやTrackBack、ブクマコメント、2ちゃんねるは見ません!」の宣言は「あ、あたし自意識過剰なんかじゃないんだからねッ!」というツンデレなんじゃないかと思う。 そういう自分はどうなのかと言うと、2ちゃんねるからの言及以外はかなり細かくチェックしているなぁ。ハンドルやURIのエゴサーチ結果をRSSリーダーで読んだり、track feedは必ず見ている。2ちゃんねるが例

    nakakzs
    nakakzs 2008/05/18
    ツンデレがネット界隈にも
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