メールはyukijimboアット(「@」に変えてください)gmail.comまでお願いします。 ついったーやってます。 雑誌を製作ちゅう。詳細はこちら
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(以下は小説「涼宮ハルヒの憂鬱」1冊だけを読んで書いてます。アニメは第一話しか見てません。) 「ハルヒ うる星やつら」で検索すると、なるほど「ビューティフル・ドリーマー」との類似性を指摘する声が多いんですね。 まあそう言われればそうかとも思うけど、だからといって二つが同じであるはずがない。 それに、「ビューティフル・ドリーマー」ってあくまで番外編的な扱いだしね。 さて、では「うる星」本編との違いは何か。 私は「涼宮ハルヒの憂鬱」1冊だけ読んでその後のシリーズをまったく読んでいないので、その1冊だけを読んで思ったのはひと言で言って「ディスコミニュケーション」でしょう。 諸星あたるは、なんだっけ、「ものすごい不運の持ち主で、周囲をトラブルに巻き込んでしまう」ということは自覚しているわけですよね。そして「自覚しているのに脳天気に女の尻ばかり追いかけ回している」ところが面白かったんだけども、 涼宮
http://d.hatena.ne.jp/nakedhisami/20060811 コラムの内容についてお教えいただき、ありがとうございます。 「ハルヒ」と「うる星」が似ているかどうか、1巻しか読んでない状態で書いてみました(ダウナーな内容になってしまってすいません)。 ネタバレしまくりなので以下に。 http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20000518 ちょっとある小説についてどういう評があるか調べるためにネット検索していたら、ある批評サイトに出くわしてムカついたので、URLを示さずにそこについて思ったことを書いてみることにする。 (私にとって、そういうサイトは地雷、もしくはエロ画像サイトに貼ってある死体写真を見るようなモノなのである。だから書くことで一種の「お祓い」が必要なのである。) よく「願望充足小説」とかいうけど、それでいけないんですかね? いけない
http://nnc.cocolog-wbs.com/blog/2006/08/post_8299.html というのを読んで。どうやらコピペやパクリ系の問題らしいし具体的によくわからんので、この記事内容がどうこうというのではないのだけれども、こういった場合に振りかざされる「自分の言葉」という表現がどうも引っかかる。記事中のコメント欄のノリで言うならば、俺としては("自分の言葉"という表現単体の話として)あまり説得力を感じない。 「学ぶ」というのが「まねる」から派生した言葉というのは割と有名な話だと思うのだが、この理屈から言えば「自分の言葉」が「他人の言葉」に勝るなら、「学ぶ」=「まねる」ことで得たものは全て「自分の言葉」よりも劣ったもの、という理屈になる。それでいて「自分の言葉」というのはかなり曖昧な表現なわけで、乱暴に言い換えると「あなたの言っているのは他人の言葉(なのでろくでもない)
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…趣味ならば選ぶことも諦めることも新たに身につけることも可能だろう。だが、オタクは趣味ではない。オタクは生き方なのである。一度オタクとして生きることを選んだならば、もはや違う生き方は存在しない。そういう人間に対して「オタクをやめろ」というのは死ねというのと同じことである。だが、非オタがオタクをただの趣味だと思っているかぎり、それは理解してもらえないだろう。そして「オタクとわたしとどっちが大事なの?」と無邪気な刃を向け続ける。 (柳下毅一郎 本田透「電波大戦」あとがきより) ということで今回も「検証・若者の変貌―失われた10年の後に」の内容をまとめていきたいと思います。しかし毎度毎度ねえ、何かしらの本を取り上げてでしかモノ語れませんで、お前はそうでなきゃ考えられねえのかっつうアレでねえホント…('A`) さて、今回はまず「音楽」について。なんで音楽が取り上げられるかと言うと、少なくとも02年
番組内容要約 小倉優子氏がクイズ・バラエティ番組で「ウソつきチーター」になって 途中までウソがばれずに頑張っていたが ついに見破られて退場させられる際に号泣してしまった。 「チーターを続けていくのが(ウソを吐くのが)嫌だったんだよね」と 司会であるロンブー淳のフォロー入る。 その後はいつも通り 「コリン星のネタを振られる」→「敢えて普通のことを言う」というパターンへ*1 バラエティ上でウソ吐いてるだけなのに、本気で号泣するから空気が悪くなる。 そして、自分でも「ここで泣いたら空気悪くなるなぁ」「嫌な奴と思われるなぁ」と気付いてるから 泣きながら「違うんですぅ。そういうんじゃないんです」ってシドロモドロになる。 小倉優子の生き辛さ だが、それがいい 小倉優子氏の立ち振る舞いの下手さ具合が最高に素敵だ!!ゆうこりんは神だ!! 明らかにあの場面で泣いたら<小倉優子>みたいなタイプが嫌いな人の好感
先日のエントリー<練り餡は業界から追放だ! - このページを読む者に永遠の呪いあれ>でコメントを頂き、この件についてもう一度まとめた方がいいと思って整理することにした。要点を明確に、具体的に語ろうと思う。 つか、該当記事を読む人はオイラのレスも読んどいてください。穏やかな口調です。 で、まとめ。 オイラの記事の書き方は確かに乱暴すぎたかもしれない。この点については、正直、すまんかったと思う。 でも、言っていることは間違ってないと思っている。その考えは変わらない。 作品の内容について良し悪しや批判を述べることは何も問題はない。 今回の件で言えば、NELIAN日記が「超つまんなさそう。絶対にやらねえ。こんな企画通すな。ショタ好きじゃねーし」という内容だったらオイラはスルーした。 これならオイラだって日常的にやっていることだしな。 しかし、NELIANはそれプラス規制面から批判することで意見を正
微妙に恒例の、おもろスパムを晒すシリーズ。 文体はすごい乙女なポエムなのに、卑猥。もう、あほかと(褒め言葉) ある朝僕のちんこが おまえは俺のでっかいオマケなんだとうちあけてくれた いわれてみればなるほど納得 僕はちんこが僕についてると思ってたよ 実は僕がちんこについてたんだね 全然協力的じゃない香具師だと悩んでたけど すうっと気持ちが楽になった 今まで偉そうにしてて悪いことしたな 連れて歩いてやってるような態度でいたな 僕のほうが大きかったから、なんとなく勘違いしてたよ ちんこの話をよく聞いて すなおに生きればいいんだ 僕はちんこの、オマケなんだから ある朝僕のちんこが おまえは俺のでっかいオマケなんだとうちあけてくれた きょうから僕は、 ちんこに連れて行ってもらうんだな どこへでも、ちんこが指すほうへ ちんこが行きたいほうへ
言葉の価値を知り尽くした人の文章を無料で読める歓びを皆さんと分かち合いたいです ↑ この記事を書きながら漠然と思ったことを書きます。 ■私は作品としてブログを扱っている人の書くものが好きです なぜならば、言葉一つ一つの価値が高く、鑑賞に堪えうる場合が多いからです。言葉には価値があって、粗製濫造されたり、流通しすぎて供給過剰になってしまうと、価値が下落します。また、無理やり一つの意味に押し込めて文脈の中でガチガチに固めて身動きをとれなくしてしまっても、言葉はその光彩を著しく失うので、やはり価値が下がります。 センスの良し悪しはありますが、私は作品として自分のブログの記事を扱っている人は、言葉の価値についてよく知っている人が多いように感じます。理屈で知っていなくても勘で分かっているというか、そういうものです。 それで言葉の価値を知っている人は、それを扱う時に自然と慎重さをもって扱うんです。ここ
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