最近、Twitterで千野帽子さんとやりとりさせて頂いた。質問と回答が若干前後しているがそのまま掲載。 では人はいつ差別者となるのでしょうか? それは他人の属性に否定的な意味づけをするときです。つまり、差別者になるかならないかは、自分の選択なのです。 人が被差別者となるのは属性によってであり、差別者となるのは行為によってです。 多くのばあい属性は選択不可能、行為は選択可能です。— 千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』 (@chinoboshka) 2017年8月19日 RT 差別行為が「選択可能」とは思わない。それは気付かぬうちにしてしまっているものだと思う。赤ちゃんは誰も差別しないが差別のある社会の中でそれを覚えていく。言葉を覚えるように。そのずっと後で初めて己が差別者であることを知り「差別しない」という行為が「選択可能」になると考える。— 大野左紀子 (@anatatachi_ohn