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岩倉具視と幕末に関するnakuramayumicomのブックマーク (1)

  • 致遠館と弘道館~岩倉具視が息子を託した佐賀の藩校

    岩倉具視(左)と鍋島直正(右) 国立国会図書館蔵 致遠館の英学と弘道館の漢学 慶応4年(1868)正月、岩倉具視の二男・具定は東山道鎮撫総督に、三男・具経は同副総督に任じられ、戊辰戦争を戦った。 江戸開城が成ると、同年5月に、それぞれ、奥羽征討白河口総督と同副総督に任じられる。 ところが、翌6月、2人は学齢期にあるとして呼び戻された。そして、佐賀藩に派遣される。岩倉具視が、佐賀藩の教育が日一だと認識していたからだ。 岩倉具視が鍋島閑叟(直正)に、子供たちを佐賀藩の藩校で学ばせたいと伝えたのに対して、閑叟は、「田舎侍の同宿する粗野な荒破屋(あばらや)に京洛の貴紳が従学されるとは、甚だ恐縮に存じます」と断わりの書簡を送っている。 しかし、その時にはすでに、具定と具経は佐賀へと向かっていた。やむなく閑叟は、長崎に設立した英学を学ぶ藩校・致遠館へ2人を送り、フルベッキに学ばせることにした。 岩倉

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