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花山院に関するnakuramayumicomのブックマーク (3)

  • 【花山院菩提寺】西国巡礼の中興の祖、花山法皇 隠棲の地

    最古の巡礼といわれる「西国三十三所観音巡礼」を広めるのに貢献した人は二人います。 一人は、奈良時代の長谷寺の住職、徳道上人。 西国三十三所巡礼を最初に始めた人です。 ※ 徳道上人や、西国三十三所観音巡礼の始まりについてはこちらに書きました。⇒西国三十三所巡礼のふるさと 法起院 そしてもう一人、西国巡礼の中興の祖と言われているのが、平安時代中期の花山(かざん)天皇でです。 今でこそ西国三十三所に指定されている札所は有名寺院ばかりですが、徳道上人が巡礼を勧めていたころはあまりにもマイナーでした。 徳道上人が始めてから270年後、廃れかけていた西国巡礼を復活・整備したのが花山天皇なのです。 花山天皇が巡礼を再興させる前は、どこが札所なのかも、はっきりしていなかったんですよね。 そんな花山法皇が隠棲生活を送ったのが兵庫県三田市尼寺(にんじ)にある西国巡礼番街札所、花山院菩提寺です。 花山院菩提

    【花山院菩提寺】西国巡礼の中興の祖、花山法皇 隠棲の地
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    nakuramayumicom 2021/04/24
    西国巡礼の中興の祖、花山法皇 隠棲の地 花山院菩提寺
  • 探山訪谷[Tanzan Report]

  • 10の3 御堂関白大堰川にて遊覧の時詩歌の舟を分かちて・・・

    御堂関白1)、大堰川にて遊覧の時、詩歌の舟を分かちて、おのおの堪能の人々を乗せられけるに、四条大納言2)に3)仰せられていはく、「いづれの舟に乗らるべきや」。公任卿いはく、「和歌の舟に乗るべし」とて乗られけり。 さて詠める、 朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉を着ぬ人ぞなき 後に言はれけるは、「『いづれの舟にのるへきぞ』と仰せられしこそ、心おとりせられしか。また、詩の舟に乗りて、これほどの詩を作りたらば、名は上げてまし」と、後悔せられけり。 この歌、花山院4)、『拾遺集5)』を撰ばせ給ふ時、「紅葉(もみぢ)の錦」とかへて入るべきよしを仰せられけるを、しかるべからざるよしを申されければ、もとのままにて、入りにけり。 また円融院6)の御時、大堰川逍遥の時、三舟7)に乗るともあり。 三御堂関白大堰河ニテ遊覧之時、詩哥ノ舟ヲワカチテ、 各堪能ノ人々ヲノセラレケルニ、四条大納言ヲ被仰云、イ ツレノ

    10の3 御堂関白大堰川にて遊覧の時詩歌の舟を分かちて・・・
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