sexualityとsocietyに関するnamako8のブックマーク (2)

  • 国家による管理売春の問題点 - A Road to Code from Sign.

    思想的に、とか書いたものの、もう少し理詰めで考えてみる。 そもそも私が増山氏の提案で問題だと思ったのは、性の問題ではなく、国家の介入という点だ。私自身は、性的な欲求を抱えながらもそれを満たされない人に「自助努力で相手を見つけてこい」などと言うつもりはないし(前のエントリでも売春は否定していない)、売春がイコール搾取を導く極限的な労働だとも思っていない。では、何が問題なのか。 ディベートの定石に従って、どうやったら増山氏の提案を肯定できるか考えてみよう。まず、需要があるとする。この人たちは、自らが性愛的に満たされていないことに対して屈を抱えている。それは時に極端な形で暴発する可能性があるので、なんとか対策しないといけない。では、この人たちの需要はどのようにすれば満たせるか。来ならば「あなたがどんな人でも愛してあげる」と言ってくれるパートナーと結ばれることが、最良の解決となる。だが、それは

    国家による管理売春の問題点 - A Road to Code from Sign.
    namako8
    namako8 2008/06/30
    ほぼ賛成。ただし、「設定された課題は、『性愛からの疎外によって暴発しそうな男性からガスを抜く』こと」/「性愛」の定義にもよるが、性愛からの疎外で暴発する男性性という前提それ自体に問題がありすぎるし。
  • 表象の流用(the appropriation of representation)について | ロワジール館別館

    「もちろん異性愛男性こそが女性イメージを圧倒的に性的な存在としてパタン化し領有してきたことは論を待たない。そのため「女の側だって少しくらい好き勝手してもいいのでは」という声もある。ただしもちろん、そういった考えは溜飲を下げる以上の効果はもたらさず、生産的な批判ではない、と考えられている」 石田仁「ほっといてくださいという表明」 『ユリイカ』2008年12月臨時増刊号 総特集BLスタディーズ 石田さんはこのように述べるが、男性による女性イメージの「領有」は、なにも“異性愛男性”に限った話ではない。かなり以前のことになるが、タレントのピーコが、深夜番組で「爆笑問題」相手に、「[ピーコは]女らしい」「ピーコさんてほんとに女なんだね」といった反応を引き出すような自己規定を繰り返し、好きな男の顔を見ているだけでいい、何もしなくてもいい、と自らがrepresentする女性主体の脱性化(これは異性愛男性

    namako8
    namako8 2008/04/08
    表象の場における男女非対称性、「女」を横奪の主体(「私」)として措定する困難については、同意。ただ、「ゲイ男性」と「ハワイ・スペイン・沖縄」を並列する乱暴さこそが、postcolonial theory的には問題かと。
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