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いのち_訃報とOSSとコミュニティに関するnamikawamisakiのブックマーク (2)

  • 高橋 信頼さんの死を悼む──「戦友」として - windhole publishing

    注:この文章は、当初、限定された範囲へのコメントとして書き始めました。その後、私が知る、高橋さんのお仕事での一面を広くお知らせすることも多少の意味があるとの示唆を受けましたので、一般に公開するものとして書き直しました。そのため、一部、私的な視点が「揺れ」として残ってしまっているかもしれません。その点はご容赦ください。また、生前、私は、高橋 信頼さんのことを「高橋さん」と呼んでいましたが、文中、同姓の方の話も出てくるので、混乱を避けるため、公開に当たり「信頼さん」という表記で統一してあります。 12月26日、ITproの副編集長、というより、「オープンソース/Linux」取材の第一人者だった高橋 信頼さんが帰らぬ人となってしまいました。同じ分野で取材を共にしてきた者として、あるいは何度も仕事をご一緒させていただいた者として、当に残念でなりません。 最初にお会いしてから、もう10年以上。同じ

    高橋 信頼さんの死を悼む──「戦友」として - windhole publishing
  • そして僕は成人する | ぼくさまろぐ

    2010年7月2日、享年62歳、定年退職を迎えてから2年を待たずして、父はこの世を去った。少し、父の話をしようと思う。 父は岐阜の出身である。仏文学部を卒業し、某報道機関に就職。北海道に配属となり、記者として働き始めた。昭和50年、僕が生まれる3年前に母と結婚。昭和53年の今日、長男である僕を設ける。その4年後の冬、次男である弟を設けた。 仕事については、よい成果を挙げていたのではないかと思う。元々読書が大好きな人間だったこともあり、人に向いていた仕事だったように思う。単身赴任で何度か転勤を繰り返し、最終的には札幌に戻ってきた。もっとも、普段は家庭のことを全くせずに仕事ばかりしていたため、母は不満たらたらであったが(母は偉いと思う実際)、子供たちとしては、お父さんが大好きなのであった。 ここに、一枚の写真がある。31年前の、僕と父である。 僕を知る人なら笑えるのではなかろうか。父の性格は

    namikawamisaki
    namikawamisaki 2010/08/27
    「さあ、今すぐHISでも楽天トラベルでも確認するんだ。今すぐだ。病気だ、って判ってからじゃ、何もできないよ。」/LOCAL さわださん
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