私は、本というものはシーケンシャルなテキストの形に収められた人間の精神そのものだと思っている。 だから、本を読むということは、単なる情報の摂取ではなくて、一つの魂との出会いだと感じている。小説だけでなく、軽いエッセイ集でも実用書でも学術書でもそういう読み方をする。どうやってもそういう読み方のできない本を読んだ時は、たとえ、そこにどんなに有用な情報がコンパクトにまとめられていても、「ああ、時間の無駄だった」と感じる。 それは、自分と本との出会いと関係があるだろう。 私には、学校というのは本当に自分に合わない場所でつまらなくて馬鹿らしくて、辛くてしょうがなかった。だから、私には高校までの記憶がほとんどない。唯一覚えているのは、古本屋巡りをして、乏しい小遣いの中から、50円の文庫本を探して回っていたこと。 当時は、地方の小都市でも古本屋がたくさんあり、どの店にもかならず、店の隅っこに古い文庫本だ