日記 | 16:40 | パウロ・コエーリョの『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』を読んでいて、「パウロ・コエーリョといえばブラジルに上陸した最初のポルトガル人ではなかったか」と思いついたが、それはよくよく考えるとゴンサロ・コエーリョだったので、僕は気が抜けたように長い息をつくとすっかりパウロ・コエーリョの小説に対する興味も失ってしまった。 恋愛、ということについて今さら思うこともないのだけれど、たとえば僕に妻がいて、その妻と僕は愛し合っていて、子供さえいないにせよ、僕たちのあいだには彼や彼女と幸せで暮らし続けたいよ、というその一念が生活の根っこにあることを互いに理解しているように思われるので、たとえば僕はYの物思う横顔を見ていて、彼女がマスカラで虚飾した派手な睫毛をバサバサを瞬かせるその風景のなかのほんの小さな変化ひとつ認めるだけで、まるで一期一会の感傷に涙するように目を潤ませるのだった