タグ

思考に関するnanika-sheilaのブックマーク (3)

  • 子供はファンタジーからは生まれない - ジゴワットレポート

    センシティブな話題でもあるので、以降の内容はあくまで私見であると、最初に記しておきます。 娘が生まれる前に、産婦人科が主催するパパママ教育に夫婦で参加した時のこと。講師として壇上に立った助産師さんは、その道のベテランらしく、実体験に基づいた様々な話をされた。ただ、会話の端々に「男は育児も家事もしない生き物」という前提が見え隠れしており、私はまだ父親にもなっていないのに、その決めつけのもとに叱られているような感覚を抱いてしまった。その点については、シンプルに不愉快だったのだが、最も心がざわついたのは講演の冒頭である。 助産師さんは「目を閉じてください」と語りかける。「想像してみてください。雲の上の世界を」。続けて、「雲の上には天使の国があり」「そこには沢山の天使が今か今かとその時を待っていて」「今まさに声に導かれて地上に舞い降り」「お母さんのお腹に宿ったのです」。あるいは、「天使が貴方たち夫

    子供はファンタジーからは生まれない - ジゴワットレポート
  • 「みんなで考えよう」は思考の品質が下がる?「集団浅慮(グループシンク)」と「悪魔の代弁者」について

    多数が集まることで思考の品質が下がるリスクについて、もう少し具体的に紹介してみましょう。 例えば、社内の気心の知れた人達で集まって会議を開催すると、知らず知らずの内にその人たちの間で「今の私たちが持っている『雰囲気』や『秩序』を大切にしよう」とする意識が働くものです。 会議が進み、議論が一定の方向にまとまり始めると、そこで反対意見を出すことは「雰囲気や秩序を乱す」として、賛成意見以外を言いづらい雰囲気が形成される──といったこともあるでしょう。 一見「良案」にみえる意見においても、それが客観的に正しい、良いものなのかどうかよりも「和を乱さないか」であったり、「(まとまっていた話が)まとまらなくなってしまうのではないか」といった観点に重きを置かれてしまうのです。 こうしたケースは決して珍しいことではなく、例えば一部上場企業における役員クラスのミーティングにおいても、同様の傾向が見られることも

    「みんなで考えよう」は思考の品質が下がる?「集団浅慮(グループシンク)」と「悪魔の代弁者」について
    nanika-sheila
    nanika-sheila 2019/10/12
    多数決主義の危うさは意外と理解されない
  • 「普通に考えれば分かる」と思っている人と話すのが辛い

    他人に何かを指摘して貰った時、「おいおい、これくらい普通に考えれば分かるだろ」という雰囲気を感じるととても辛く感じる。 自分は何も考えずに行動している訳ではない。けれども、浅い思考しかできなかったり、普段から見落としが多いなどの理由から、自分だけでミスに気づけないことが結構ある。 そういった時、周囲から指摘を貰えるのは非常に嬉しいことであり、(少なくとも、自分が)円滑に仕事を進めるためには必要なことだと思っている。 ただ、指摘をされる時に「ここは普通に考えればこうでしょ」という風に指摘されてしまうと、「その普通に考えるという行為が難しかったのだ」と頭の中で言い訳が始まり、素直に指摘を受け入れることが難しくなってしまう。 この「普通に考えれば」というのは、明確な言葉でなくともそう捉えてしまうことがある。 例えば、指摘をする時に少し笑いながら「増田さん、ここはこうでしょ。」というように指摘され

    「普通に考えれば分かる」と思っている人と話すのが辛い
    nanika-sheila
    nanika-sheila 2019/10/12
    個人的に、相手の統計や確率的に大きそうな知識を"普通"として話す。でも、義務教育で習う知識を前提に話すと「そんなの知らないよ」と言われることも多いので難しい。
  • 1