ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (2)

  • 9球団の誘いもあっさり拒否。慶応大左腕は1億よりスーツを選んだ|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    仕事としてプロ野球を選択しなかったサウスポー プロ入りを熱望されながら、大学卒業と共に野球から離れた志村 往年の野球ファンならば、志村亮というピッチャーの名前を覚えているだろう。 桐蔭学園(神奈川)時代、2年春の1983年センバツで甲子園初登板。3年夏には激戦の神奈川大会を制して甲子園で2勝を挙げた。その後は慶應大学へ進学、すぐに神宮デビューを果たし、開幕カード第2戦に初先発して56年ぶりとなる新人の開幕カード完封勝利を記録した。 さらに4年春と秋のリーグ戦では、5試合連続完封、53イニング連続無失点記録も樹立している。4年間で31勝、防御率1.82という成績を残したクレバーなサウスポーは、当然のようにプロ入りを期待されたが、その道を選ぶことはなかった。 志村が東京六大学リーグでプレーしていた1980年代後半、各大学にはのちにプロ野球で活躍する選手がたくさんいた。しかし1988年は、即戦力

    9球団の誘いもあっさり拒否。慶応大左腕は1億よりスーツを選んだ|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
    nanoha3
    nanoha3 2018/10/24
  • 元巨人ドラフト1位・辻内崇伸「8年間の悔恨」を語る

    谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports プロ野球「行く人、来る人」2013 今年もドラフトで育成枠を含めると89人の選手がプロからの指名を受けた。その一方で、かつて「怪物」と呼ばれた男がひっそりユニフォームを脱いだ。8年前の今頃はマスコミの注目を一身に浴び、将来の巨人のエースと嘱望されていた辻内崇伸だ。大阪桐蔭高校時代の3年夏の甲子園で、左腕最速となる156キロを記録。2回戦の藤代(茨城)戦では当時大会タイ記録となる19奪三振をマークした。しかし、高校野球史にその名を刻んだ剛腕のプロ生活は度重なる故障との戦いだった。結局、1度も公式戦の一軍マウンドに上がることなく26歳を前にした今秋、8年間の現役生活にピリオドが打たれた。 一度も一軍のマウンドを経験することなく、8年間のプロ野球生活に別れを告げた辻内崇伸。

    元巨人ドラフト1位・辻内崇伸「8年間の悔恨」を語る
    nanoha3
    nanoha3 2013/11/25
  • 1