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2015年10月28日のブックマーク (4件)

  • 「強歩」大会で女子生徒死亡 埼玉県立大宮高 小雨で決行、ゴール前で心肺停止

    さいたま市大宮区の埼玉県立大宮高で16日、体力向上や精神力を養うため毎年実施している「強歩大会」に参加した2年生の女子生徒がゴール手前で倒れ、その後死亡していたことが26日、同校などへの取材で分かった。県警によると死因は病死。大会は雨天中止の予定を小雨で決行しており、同校の担当者は「因果関係はまだ不明だが、大会を中止していれば防げたかもしれない」としている。 この事故を受け、同県教育委員会は21日、体育活動などでの事故防止に万全を期すよう求める文書を県内の全県立高へ通知した。 同校によると、大会は16日午前10時半に開始し、全学年の生徒約1170人が参加。男子が16・5キロ、女子が13キロを、途中走りながら完歩を目指した。 同11時45分ごろ、ゴール手前約1・6キロで女子生徒が倒れるのを複数の生徒が目撃。知らせを受けた教諭が119番通報した。女子生徒は心肺停止状態で、17日夜、搬送先の病院

    「強歩」大会で女子生徒死亡 埼玉県立大宮高 小雨で決行、ゴール前で心肺停止
    nao_cw2
    nao_cw2 2015/10/28
    距離や体力の問題じゃない。冷たい雨の中を半袖短パンでやる必要はどこにもない。登山で雨に打たれて防寒対策してても死亡するのと同じ状況。昭和の学校のほうが理不尽なことはあっても安全だったな。
  • 「普天間飛行場の周辺住民がこうむる危険性が継続するなど重大な損害が生じるため、これを避ける緊急の必要がある」なら辺野古移設を待たずに今すぐ普天間を閉鎖すべきだろうに - 誰かの妄想・はてなブログ版

    この件。 辺野古埋め立て、代執行へ=沖縄知事決定の効力停止―移設作業、近く再開・政府 時事通信 10月27日(火)11時34分配信 政府は27日午前の閣議で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に関し、翁長雄志知事による辺野古の埋め立て承認取り消しは違法だとして、地方自治法に基づき、国が知事に代わって埋め立てを承認する「代執行」の手続きに着手することを了解した。 菅義偉官房長官が閣議後の記者会見で発表した。政府が代執行に踏み切れば、国が県を訴える形で法廷闘争に持ち込まれることになる。 閣議了解と並行し、石井啓一国土交通相は同日、翁長知事による埋め立て承認取り消しの執行停止を決めた。これにより知事決定は一時的に無効となり、防衛省沖縄防衛局は埋め立てに向けた作業を速やかに再開する方針だ。 県は、執行停止に対して、国地方係争処理委員会に不服審査を申し立てる方針。翁長知事は27日夜

    「普天間飛行場の周辺住民がこうむる危険性が継続するなど重大な損害が生じるため、これを避ける緊急の必要がある」なら辺野古移設を待たずに今すぐ普天間を閉鎖すべきだろうに - 誰かの妄想・はてなブログ版
    nao_cw2
    nao_cw2 2015/10/28
    これについては政治家のみならず本土の一般人ですら普天間、沖縄米軍基地の状況に全くもって感心がないと言える状況ですね。
  • 中国は人工島の12カイリ以内を領海と“公式には”主張していない、と言うのに。 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    米軍が南沙諸島において、中国に対する挑発行動を行ったようです。作戦名は「航行の自由」だとか。 作戦の内容は、中国が実効支配する南沙諸島の人工島12海里以内に米軍艦を侵入させるという示威行動です。極めて卑近に例えるなら“ピンポンダッシュ”ですね。 “中国は人工島12海里を領海だと主張しているが、俺はそれを無視してやったぜ”という感じです。 問題は、当に“中国は人工島12海里を領海だと主張している”のか、という点。 まあ、この件に関する報道では見た限り全てにおいて、“中国は人工島12海里を領海だと主張している”という前提で報じています。 「中国は人工島から12カイリの海域を領海と主張している。」(ロイター)*1 「中国が南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島で埋め立てた人工島から12カイリ(約22キロ)内(略)での中国の領有権の主張を認めず」(朝日)*2 「中国が「領海」と主張する人工島12カイ

    中国は人工島の12カイリ以内を領海と“公式には”主張していない、と言うのに。 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    nao_cw2
    nao_cw2 2015/10/28
  • 誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したかをオタク史で振り返る

    はじめに90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。 稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。 「おたく」の誕生第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄

    誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したかをオタク史で振り返る
    nao_cw2
    nao_cw2 2015/10/28
    岡田他、能書きでオタクを語る人はいても、活動するオタクとして世間一般にオタクの断崖を見せつけたのは宅八郎だろう。チョット大げさか...