先月で阪神大震災から16年たったというニュースを見た。ということは、同じ年の3月に起きたオウムの地下鉄サリン事件からも、もうすぐ16年の歳月が流れたことになる。 オウムは地下鉄サリン事件の前から教団施設の建設予定地で反対運動が起きたりするなど、社会から「排除」された存在ではあった。また今から振り返れば、サリン事件以外にも数々の凶悪な犯罪を実行しており、排除されるべき根拠がなかったわけではないことになる。 しかし、当時、オウムに「吸い込まれて」いった人々についての断片的な情報に接すると、明確な社会的排除や差別を受けているようには思えない「普通」の人たちだった*1。なぜそうした人々があのような荒唐無稽なものに吸い込まれていくのかという疑問は当時から抱いていた。そういう意味で言うと、実はひとつ前のエントリーでも書いた「自分を溶かす場所への希求」というのも関係しているのではないかと個人的には考えて