映画でも小説でも、「堕ちていく女」の話は、「堕ちていく男」の話のそれより多いような気がするのは気のせいだろうか? ラース・フォン・トリアーの新作「ニンフォマニアック」はvol.1とvol.2からなる、合わせて4時間の大作である。性に奔放な女性:ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、酷い怪我を負った状態で道端に倒れている所を、通りがかった男:セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に救われる。男は女を連れ帰り、女は男の介抱の傍ら「何故私がこんな目に遭わなければならなかったか?」と、その顛末を語り始める。まさに「堕ちていく女」の定型を体現しているかのような導入である。 以前、「ラスト、コーション」を鑑賞したとき、「セックスは個人のブラックボックス的な最上位レイヤー」というような感想を書いたが、その「最上位レイヤー」を見ず知らずの他人に明け透けに語ってしまうということは、ある意味で無防備、またあ